本研究では、アイルランド演劇(特にアイルランド文芸復興における演劇運動の勃興から現在まで)において、物語行為が過去の克服と精神的変容の契機として機能する諸作品の検討を行った。当該期のアイルランド演劇では、物語を語る行為を通じて登場人物たちが過去のトラウマと対峙し、それを克服して精神的変容の契機を得る経緯、あるいは社会や国家が変容の契機を得る過程が繰り返し描かれてきた。本研究では、W.B.イェイツ、サミュエル・ベケット、トム・マーフィー、マーティン・マクドナーなどの書き手による戯曲における物語行為の表象を手がかりにして、語り手が、時には第三者視点の物語や歴史叙述に仮託した告白として、時には無意識の内に他者の経験の伝聞として、自身の過去の言動を巡る罪悪感や、自分が所属する共同体や国家の抑圧された過去の出来事を巡る苦悩を語り、聞き手との相互扶助を通じて過去のトラウマから解放され、精神的な刷新を経験する過程が描かれていることを確認した。また、個人の精神的な袋小路が共同体や国家の停滞と重ねられ、語り手が物語を通じて過去の経験と対峙して克服するプロセスが、個人と、個人を越えた社会的変革の可能性を暗示する表象であることを確認した。こうした語りという言語の美的構築物が個人や共同体の救済の契機を生むというテーマは、言葉以外に多くを持たない被抑圧者たちの存続の知恵の演劇的表現でもあると言える。本研究では、アイルランド演劇におけるこうした主題が、時に教会制度の告解室の代替物として、共同体や国家の基礎を成す個人の精神を刷新する世俗的な聖性を伴い得る可能性について、その一端を明らかにした。
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