研究課題/領域番号 |
19K00466
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
塚本 昌則 東京大学, 大学院人文社会系研究科(文学部), 教授 (90242081)
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研究分担者 |
前之園 望 東京大学, 大学院人文社会系研究科(文学部), 助教 (20784375)
野崎 歓 放送大学, 教養学部, 教授 (60218310)
塩塚 秀一郎 東京大学, 大学院人文社会系研究科(文学部), 准教授 (70333581)
MARIANNE SIMON・O 東京大学, 大学院人文社会系研究科(文学部), 准教授 (70447457)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | 文学 / 人文知 / フィールドワーク / フィクション論 / 無意識 / 現象学 / 精神分析 |
研究実績の概要 |
二十世紀、文学の形は大きく変化した。十九世紀に黄金期を迎えた小説・抒情詩・演劇というカテゴリーにしたがって、この時代に書かれた文学を記述することはできない。それらの形式は解体され、再構築され、衰退していったが、だからといって書くという行為そのものが衰えたわけではない。二十世紀文学の作家たちは、精神分析、人類学、言語学等の新たな人間認識をもたらした学問を積極的に吸収し、身体論やイメージ論という、哲学、社会学、美術史学等さまざまな学問領域で研究された問題意識を共有し、相互に影響を与えながら執筆活動をおこなった。いったいどのような視点から見れば、作家と思想家・哲学者等を区別を取り払い、この時代の文学を綜合的に把握することができるのだろうか。ここでは、とりわけこの時代の人間認識において根源的な問題となっている「経験」に焦点をあて、さまざまな散文作家たちが「経験」をどのようなものと認識し、またどのように言語化したのかを追究することでこの問題を検討する。 2019年度においては、人類学、現象学、精神分析学、フィクション論の研究者と対話しながら、文学と人文科学の境界を探った。フィールド調査によって得られる知見、現実とフィクションとの関係に関する考察、そして無意識をどのようなものと捉えるのかという無数の試みにおいて、文学と人文科学という区別はもはや十全には機能せず、人間のあり方を認識し、創造し、表現しようとする衝動があるばかりである。文学も、人文科学も、ひとつの知のあり方として確立される以前の流動的な状態において捉えることで、20世紀における人間認識がどのように語られてきたのかを分析する端緒を掴むことができることを明らかになってきた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
今年度は「文学と人文知」と題する研究会を、鈴木雅雄・早稲田大教授と共同で三回開催した。これによって当初から理解を深めたいと願っていった次の書物について、それが20世紀文学とどのような関係を持ちえるのかを検討する機会を得た。その書物とは、レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』・『野生の思考』、メルロ=ポンティ『知覚の現象学』・『見えるものと見えないもの』、ラカン『エクリ』である。これらの著作は、それぞれ人類学、現象学、精神分析学の専門書という側面も当然もっているが、それとは異なる角度から、文学とどのように関係しえるのかという視点から読むことが可能である。これに加えて、ジャン=マリー・シェフェール『フィクションとは何か?』を集中的に読むことで、フィクション論がどのような背景から盛んに論じられるようになったのかという点についても考察した。 具体的には、文化人類学者である箭内匡先生(東京大)とともに、先生の提唱する「イメージの人類学」について考え、フィクション論を専門とする久保昭博先生(関西学院大)とフィクション論生成の背景について検討、さらに現象学の専門家である廣瀬浩司先生(筑波大)、精神分析学の立木康介先生(京都大)とは、文学と無意識の関係について議論した。こうした討論会を通して、20世紀における文学概念の大きな変化についていくつもの手がかりを得ることができた。
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今後の研究の推進方策 |
人文科学の専門家と検討したい事項はまだ数多くある。新型コロナウィルスの影響で、思うように研究会が開催できない状況となっているが、どのような文献を渉猟すべきか、どのような分野について理解を深めるべきかという点については、日々の努力の積み重ねしかない。研究会開催まで、文献調査を深めて行きたい。具体的には、イメージと身体に関する考察を深めて行くことを目指す。そのため、イメージの歴史と文学、身体論の現在と文学、そしてイメージ論で大きな問題となる支持体・スクリーンに関する考察と文学について調査を進めていく予定である。 19世紀末にランソンやブリュンチエールによって整備された文学史の枠組みを拡張し、20世紀の現実によりかなった形で文学概念を再構築するのはあまりに巨大な企てであり、一気に実現することは難しい。われわれが目指しているのは、「経験の貧困」が叫ばれながら、主観効果が隅々にまで浸透した時代、人間がどのようなものとして表現されたのかという疑問を、文学だけでなく、人文科学のさまざまな知見からも分析することである。少なくとも、文学と人文科学が交錯するさまざまな境界で、どのような表現と認識が営まれたかを検討することで、狭い文学概念を乗りこえる道筋を探りたい。
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