研究課題/領域番号 |
19K00470
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研究機関 | 静岡大学 |
研究代表者 |
大原 志麻 静岡大学, 人文社会科学部, 教授 (80515411)
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研究分担者 |
安永 愛 静岡大学, 人文社会科学部, 教授 (10313917)
今野 喜和人 静岡大学, 人文社会科学部, 名誉教授 (70195915)
花方 寿行 静岡大学, 人文社会科学部, 教授 (70334951)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2025-03-31
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キーワード | 動物表象 / クンデラ / フランス文学 / 聖書 / 動物機械論 |
研究実績の概要 |
2023年度は本研究が対象の一つとしているフランス文学のなかで、まず昨年亡くなったミラン・クンデラの「人類」あるいは「人間」概念への問いを、とりわけ「動物」のテーマに即して詳細に検討した。『存在の耐えられない軽さ』の終章である「カレーニンの微笑」の骨子を中心に論じてきたが、さらにクンデラの文章表現の特質を精細に踏まえながら、他者である動物から照射できる「人間」概念について明らかにした。 クンデラの『創世記』の記述では誰か人間が書いたもので、動物についての記述は動物が書いたものではない。「神」とは人間の想像力の産物であり、人間が動物の支配者として君臨することを正当化し、さらにはその権力を聖なるものとするための発明であり、またデカルトの動物機械論により人間の位置は遠く、動物の支配者であることを正当化していると主張している。『存在の耐えられない軽さ』のテレザの動物や牧人文学の系譜と対比させ人間の位置づけを行っている。馬についての描写では、動物の支配者であり、動物の優位に立つものとしての人間というデカルト以来の人間の位置付けは人間の思い上がりの罪とした。 繰り返しに基礎を置き、心身二元論の葛藤もなく満ち足りている動物に比べるなら、貪欲さに駆動され心身の葛藤に悩む人間は、疲労や虚しさに襲われる哀れな存在でもある。『創世記』にすでに懐胎され、デカルトの動物機械論によってさらに先鋭化された人間中心主義への根本的な疑念について、クンデラが動物の存在をクローズアップされるのは、人間という種の、国家や地域、時代を超えた条件を照らし出すためなのである。同内容は「ミラン・クンデラの著作における「人間」の位置―動物が照射するもの」として刊行された。また10月11日には日仏レクリエーションの現場を開催し、「共演者は馬?」をモチーフに本物の動物と共に創る演劇作品のパフォーマンスを行った。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
2023年度は、予定していた研究は進捗したが、新たにバスク文化における山羊の表象の重要性について新たな側面から考察する必要性が生じた。ヨーロッパ文化における枢要な動物表象の一つである山羊についてタロット研究を交えながら系譜の整理が進んでいることは重要な進捗であると考えるが、また新たな課題が出てきたということで「やや遅れている」状況である。
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今後の研究の推進方策 |
新型コロナウイルス感染症は落ち着いてきたものの、ウクライナ進攻による旅費の高騰により遅れている現地での資料調査・文献収集を行いたい。本研究に関するバスク研究は日本では大学図書館や国会図書館では所蔵がほとんどなく、現地での調査が必要である。整理済みの史資料に加えて上記の調査に基づいて、具体的な表象研究をまとめることを今年度の課題としたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
重い学内業務がかさなり、視察等の日程調整がつかなかったため。
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