研究課題/領域番号 |
19K00484
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研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
坂庭 淳史 早稲田大学, 文学学術院, 教授 (80329044)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | ロシア哲学 / チュッチェフ / 全一性 / チャアダーエフ / ソロヴィヨフ |
研究実績の概要 |
本研究の目的は、ロシアの文学者や思想家たちによって19世紀全体を通して作り上げられた「全一性」概念を主な研究対象とし、哲学、宗教、歴史、政治、教育などの観点からその組成を総合的に分析することである。この研究目的に基づいて執筆した論文1件について記述する。 『ロシア文化研究』28号(2021年3月刊行)に掲載された論文「『考える葦』をめぐって――チュッチェフとパスカル」では、「全一性」概念の形成において大きな役割を果たしているフョードル・チュッチェフの詩と政治論文における、17世紀フランスの思想家ブレーズ・パスカルの著作『パンセ』の思想との呼応を考察した。チュッチェフの人間観は、カトリック教会に論争を巻き起こしたジャンセニズムの信仰・思想でも知られるパスカルとその多くを共有している。しかし護教論である『パンセ』では克服されている「生に対する恐怖」の感覚を、彼は抱き続けた。論文では、パスカルの影響を受けた19-20世紀のロシアの思想家たちを列挙しつつ、この「恐怖」の感覚の有無にもとづいて大きく二つの流れを抽出した。本研究では以降、この恐怖の感覚をピョートル・チャアダーエフやフョードル・ドストエフスキーなどの「全一性」の概念とすり合わせていく。 なお、2019年度にクラクフ(ポーランド)で開催された国際学会「ウラジーミル・ソロヴィヨフ:愛の形而上学」での発表「ソロヴィヨフとチュッチェフ:愛の概念におけるもう一つの一致」は高い評価を受け、2021年刊行予定の選集(Vladimir Soloviev: The Metaphysics of Love, eds. Teresa Obolevitch & Randall A. Poole, Eugene, OR: Pickwick Publications 2021.)に収録される(2020年度に原稿を作成し、編集者に提出済みである)。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
本研究の第2年度である本年度は、大きく以下の2点を研究上の達成目標とした:①「全一性」概念の形成過程における「文学と思想の接点」について考察すること ②初年度の成果からさらに考察対象を明確にし、「カトリック思想とカトリック教会の在り方」の問題に関する文献の収集を進めること しかし、新型コロナ感染症の影響により2点とも準備作業は進展しているものの、十分な成果を挙げられなかった。以下、それぞれの点の進捗状況を記す。 ①については、思想家ピョートル・チャアダーエフ (1794-1856)が、アレクサンドル・プーシキン(1799-1837)の韻文小説『エヴゲーニー・オネーギン』(1825-1832)の主人公オネーギンのモデルとなっていることに注目し、文学と思想を合わせたロシア文化史におけるこの人物形象の意義について考察し、2020年8月、モントリオール(カナダ)での第10回ICCEES(中東欧研究協議会)世界大会において発表する予定であった。だが、大会が2021年に延期されたため、考察自体は進んでいるものの研究成果の発表ができていない状態である。2021年度中に、学会発表、あるいは論文執筆のかたちで成果を示す。 ②については、前項「研究実績の概要」で言及した論文「『考える葦』をめぐって」で一部を扱っているが、まだ問題に対する本質的な解答は提示できていない。ロシアでの資料文献収集作業を全く行えていないことで原因の一つではあるが、それでも本年度の①、②の作業を通して、イエズス会士イヴァン・ガガーリン(1814-1882)の存在が本研究にとって重要であることをあらたに認識できた。詳細は次項「研究の推進方策」で記すが、本研究の申請当初の目的の一つである「思想史における『西欧派』、『スラヴ派』という従来の枠組みの克服」が、ガガーリンとその思想・活動に注目することで可能になったように思われる。
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今後の研究の推進方策 |
前項で言及したイヴァン・ガガーリンに注目し、「ロシアにおけるカトリック」という視点から、あらためて「全一性」概念の形成について考察していく。ガガーリンは、1830年代初頭にロシア大使館(ミュンヘン)に勤務し、チュッチェフの同僚であり友人であった。その後ロシアに帰国した際、自身が高く評価しているチュッチェフの詩がロシアで全く知られていないことに驚愕し、ロシアにおけるチュッチェフの詩作品の普及に奔走した。彼がチュッチェフの作品を、当時のロシア文学の中心人物であったプーシキンに手渡したことが、チュッチェフの詩人としての名声の原点になっている。ガガーリンは、思想面ではチャアダーエフとの交流を通して強い影響を受けて、カトリック思想に傾倒する。つまり、この人物は、本研究でこれまで扱ってきた、チュッチェフ、プーシキン、チャアダーエフ3人の結節点となるような存在なのである。 さらにガガーリンは、チャアダーエフが思想上でのみカトリックに対して賞讃、接近したのに対し、実際に1830年代末には正教からカトリックに改宗し、その後イエズス会士にもなった。当時のロシアでは、改宗の際には市民権と財産がはく奪されたが、それを甘受してでも改宗に踏み切った数少ない人間の一人であり、以降はロシア国外からロシアの思想家たちと論争を繰り広げた。本研究では、正教会とロシア政府の結びつきを厳しく批判し、正教徒に教皇権を認めることを説いたガガーリンが、「西欧派」でも「スラヴ派」でもない、実質的なロシア思想の第3の潮流を形成していたことを明らかにする。また、坂庭がこれまで扱ってきたキュスティーヌやメーストルなど、カトリック圏の思想家たちの著作や活動とも比較、総合し、さらには19世紀末に東西教会の合同を唱えたソロヴィヨフへの接続も分析しつつ、「ロシアにおけるカトリック」が「全一性」概念の形成に与えた影響について考察していく。
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次年度使用額が生じた理由 |
2020年8月、モントリオール(カナダ)で開催予定の第10回ICCEES(中東欧研究協議会)世界大会に参加し、本研究に関連するテーマ「プーシキンとチャアダーエフ」について研究発表をする計画であった。それに際してモントリオールへの1週間程度の出張費出費を見込んでいたが、新型コロナ感染症の影響でこの大会は2021年8月に開催延期となった。そのため、予定していた出費額を2021年度の大会参加のための出張費用として繰り越した。 繰り越しを決定した後に、大会運営側から2021年8月の大会をオンラインで開催する旨の連絡があった。出張費用などが生じなくなるため、次年度使用額については、新型コロナ感染症の状況を確認しつつ、ロシアあるいはヘルシンキ大学(フィンランド)図書館などでの資料収集や、ロシア思想研究者の招聘の費用に充てたい。あるいは新型コロナ感染症の影響で移動困難な状況が続くのであれば、本研究に関連する書籍の購入に充てる。
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