研究課題/領域番号 |
19K00513
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
郷原 佳以 東京大学, 大学院総合文化研究科, 教授 (90529687)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | ジャック・デリダ / モーリス・ブランショ / ロラン・バルト / エクリチュール / ジャン=リュック・ナンシー |
研究実績の概要 |
バルト、ブランショ、デリダにおけるエクリチュール概念と発話理論の関係を明らかにするという本研究の目的に沿って、令和4 年度は主として以下の研究を行った。 (1)1960年代のブランショにおける断章的エクリチュールへの拘りに着目し、ブランショのエクリチュール概念の背後にヘラクレイトスの断片的な言葉=教え(ロゴス)があることを明らかにし、そのようなブランショの言語観と、ジャン=リュック・ナンシーのカント論やドイツ・ロマン主義論(ラクー=ラバルトとの共著)との関係を追求し、ナンシーはブランショのdis-cours(途切れつつ続く流れとしての言葉)を「シンコペーションの言葉(discours)」と言い換えてカントに見出したと指摘した。研究成果はナンシーをめぐる国際シンポジウムで発表した。また、ブランショの著作にバタイユ的な「死の模擬」を跡づけるラクー=ラバルトとバタイユの関係について考察し、論文にまとめた。また、ブランショのレチフ・ド・ラ・ブルトンヌ論を分析し、ブランショがレチフに惹かれた理由を、レチフにおける書くことと生きることの分離しがたさなどから明らかにした。研究成果はレチフをめぐる国際シンポジウムでフランス語で発表した。 (2)デリダの思索が「哲学の物語」に抗するためにある種の虚構あるいは詩的言語に頼ることになるという矛盾について、デリダの「蚕」や蓮實重彦『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』などを通して考察した。研究成果は「テクストから人外へ――デリダ「蚕」を通して――」などに発表した。 (3)バンヴェニストの発話理論のバルトとデリダにおける受容の相違を比較し、バルトにおいては「私は書く」というエクリチュールの現在性と「私は死んでいる」という発話の不可能性として受容され、デリダにおいてはそのような思考への違和が表明されたことを明らかにした研究をデリダ学会においてフランス語で発表した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
令和4年度は学内で重要な役職についたため、発表論文を補充して著書にまとめるという作業を進めることができなかった。
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今後の研究の推進方策 |
デリダの初期著作『グラマトロジーについて』についての論点を補充し、1960-80年代のデリダにおける「他なる言葉のインヴェンション」の追求と発話行為の関係についてのこれまでの研究をまとめ、書籍にする。デリダと「文学」「証言」についての論点をまとめる。ブランショの初期言語論とジャン・ポーランとの関係を追求し、ブランショにとってのポーランの重要性を論証し、発表する。バンヴェニストの見逃されてきた言語論のうちに、非人称的言語をめぐるブランショらの考察と響き合う側面があるかもしれないという可能性について調査し、考察する。
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次年度使用額が生じた理由 |
令和4年度は学内で重要な役職についたため、発表論文を補充して著書にまとめるという作業を進めることができなかった。本年度は調査を進め、海外研究者との研究交流を行い、著書にまとめる。
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