研究課題/領域番号 |
19K00533
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研究機関 | 日本大学 |
研究代表者 |
安元 隆子 日本大学, 国際関係学部, 教授 (40249272)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | 金子文子 / 自伝 / ルソー / 何が私をこうさせたか / 運命 / 見栄・虚栄心 |
研究実績の概要 |
金子文子研究のうち、今年度は自伝『何が私をこうさせたか』のテクストの丹念な読みを行い、そこに「運命」「見栄・虚栄心」というキーワードが物語の底流を流れていることを確信した。これらのキーワードを読み込むことで、金子文子が反逆しようとした父や母、同時代の資本主義の矛盾や社会主義への懐疑、男尊女卑の風潮などと同じものを金子文子自身が宿していることを明らかにし、思想家・金子文子だけではなく、人間・金子文子を浮かび上がらせることが出来た。と同時に、そこからの脱却の物語も読み取った。ただ、「見栄・虚栄心」からの脱却は容易なものではなく、自伝が終結した後の時点、つまり、獄中における金子文子の心情を記した書簡や大逆罪に関わる裁判の予審や大審院での裁判記録を読むことで、金子文子の心情を追った。特に二月ニ十六日の判事あて書簡は重要で、朴烈からも自立する金子文子の心情が綴られていることを確認し、朴烈だけが関わった爆弾移送依頼事件に対し、朴烈と同等にこの事件に関わろうとする文子から、朴烈の未熟さを冷静に見つめ自己の過失をも認めた上で受け入れようとする姿に、金子文子の「見栄・虚栄心」からの脱却を読み取った。 また、当時、ルソーの『告白』が大きな衝撃を与えていた事実を踏まえて、自伝『何が私をこうさせたか』にルソーの影響の有無を探った。ルソーの自伝『告白』の特色である盗みの告白、性のあからさまな告白、こどもの独立性の主張、自然と心情の一体化、「私」の探究といった点に於いてルソーの『告白』との類似性を認めることが出来た。金子文子の思想的なバックグラウンドにルソーと共通のものがあることは、間接的ながら文子の新しい知の世界に対する貪欲な探究心を裏付けることになる。金子文子と言えば無政府主義や虚無思想への傾倒がクローズアップされるが、それだけでなく、当時の世界的な知をも取り込む存在であったことを明らかにした。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
今年度は金子文子の自伝『何が私をこうさせたか』へのルソーの影響の有無についての研究を中心に行い、成果を比較文学会・東京支部大会で発表することができた。ルソーが日本人にあたえた影響や、ルソーに限らず「告白」することの意味をもっと深く掘り下げる必要があると考えるが、先行研究にはなかった金子文子とルソーの比較研究を論文としてまとめることが出来たことは一歩前進であった。 そして、金子文子の自伝を「運命」と「見栄・虚栄心」というキーワードで読み解き、見えてくるものを明らかにした。それをさらに獄中での裁判記録に結びつけ、金子文子がどのように克服しえたのかを追い、論文とした。この点については同棲し活動のパートナーである朴烈との関係も含めて文子の至り着いた思想を示すものであり、きわめて重要なものとなる。今後、日本近代文学に投稿予定である。 また、金子文子と朝鮮についても、自伝に三・一運動の記載がないことは不自然であることから、金子文子の朝鮮時代の歴史的背景を調査し、三・一運動に関係するソウルのパゴダ公園や西大問刑務所跡を実際に訪問したことをふまえて、金子文子の朝鮮時代の意義を論文にまとめる準備ができた。 このように、現在までの金子文子研究の進捗状況は概ね順調である。
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今後の研究の推進方策 |
今後は、朝鮮時代の金子文子について、三・一運動の様子を朝鮮側の報道からも描く。 そして、三・一運動についての文子の受け止め方と他の日本人の受け止め方などと比較しながら論文にまとめる。その際、文子が反発した朝鮮半島を支配していた日本人社会を貫く論理を『何が私をこうさせたか』の中の表現から導き出す。 文子の晩年の思想、無政府主義と虚無主義について、アルツィバーセフとスティルネルの日本での受容と金子文子への具体的な影響を明らかにする。文子が「労働者セイリョフ」に魅せられた理由、また、1925年5月21日の立松判事あての書簡に引用されたロシア作家の論文集の一節の典拠、また、アルツィバーセフへの傾倒の理由などを比較文学の観点から明らかにする。その際、辻潤の訳した『自我経』の存在を介在させて考える。 金子文子の教育と女性の生き方に関する問題意識は近代日本の抱える暗部を照らし出している。『何が私をこうさせたか』に描かれた教育と女性の生き方について抽出し、金子文子の意識の尖鋭性を明らかにする。と同時に文子がどのように同時代の風潮を打破していったのかを検証する。また、金子文子の受容史として、韓国人のキョムビョラの『常盤の木 朴烈と文子の愛』及び、韓国映画『朴烈と金子文子』の作品論を執筆し、金子文子と朴烈に関して、日本人の視点と韓国人の視点の差の有無を検討する。そこに現代の日韓関係の影響があるのかも考察する。そして、金子文子の同志・朴烈の書いた『不逞鮮人』などの記事の表現と当時のアナーキズム文学、特に詩の表現との比較考察を行う。朴烈、金子文子らの無政府主義、虚無主義の思想の表現と、文壇の動きとが連動していることを実証する。そこからアナーキズム運動とは文学、社会を含めて時代を席巻したものであったことを明らかにする。 以上の論考とこれまでの論考を併せて金子文子論として単著を刊行する。
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次年度使用額が生じた理由 |
昨年度までに終了する予定であった前回の科研費のテーマ「スベトラーナ・アレクシエーヴィチの文学の研究―証言が文学に変わる時―」が夫の脳梗塞発症による入院と介護、及び、九州の義母の介護と葬儀が重なり、予定の3年間で終了することが出来ず、1年間延長を認められたため、今年度は2つのテーマを抱えることとなった。今年度の特に前半は前テーマを優先したために、夏季に予定していた韓国への調査旅行、及び、その際依頼する予定であった通訳や情報提供者への謝礼などが未使用となったため、次年度使用額が生まれた。
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