本研究では、「人間の絶対平等」を掲げて天皇制を否定した金子文子の自伝『何が私をこうさせたか』を「運命」「虚栄心」の語を中心に文学として読み、その物語性を指摘した。そして、虚無思想家だけでなく、人間・金子文子の部分を明らかにした。また、当時の時代状況を明らかにし、金子文子の虚無思想の必然性を提示した。そして、金子文子死後の受容について、文学、映画を通して考察した。 今年度は、文子の強靭な自我観と獄中死という選択に影響を及ぼしたシュティルナー及びアルツィバーセフの影響について検討した。両者の影響は既に指摘されているが、具体的な論及はほとんどなかった。金子文子が読んだであろう書物を細部にわたり検討し、金子文子への血肉化を明らかにした。また、アルツィバーセフ文学が日本の社会主義者や共産主義者、虚無主義者にどのような影響を与えていたのか具体的に指摘したことにより、今までのアルツィバーセフ受容研究を越えた新しい視点を提示できた。同様に、これまであまり論じられてこなかった金子文子の同志であり夫の朴烈が獄中で発表した宣言文などを検討した。その明晰な論理性と日本語表現には驚かされるものがあり、朴烈が金子文子に与えた影響の大きさに改めて注目した。そして、聞慶の朴烈・金子文子記念館提供の朴烈の獄中より発した未発表書簡の解読を行った。これにより転向後の朴烈の精神状態の解明と転向の経緯が逆照射できると思われる。 また、金子文子死後の受容研究として、傾向映画『何が彼女をそうさせたか』を発掘した。昭和2年に発表された藤森清吉の戯曲を映画化し昭和5年に放映されたこの映画は、その使役構文を用いたタイトルのつけ方や、女性が社会に虐げられ最後に社会に復讐する筋立てなど、金子文子と重なるものがある。これまで指摘されてこなかっただけに新しい視点を提示することができると思われ、今後も研究を進めていく予定である。
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