研究課題/領域番号 |
19K00538
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研究機関 | 関西学院大学 |
研究代表者 |
李 建志 関西学院大学, 社会学部, 教授 (70329978)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | 朝鮮 / 大韓帝国 / 大日本帝国 / 陸軍中央幼年学校 / 台湾 / 朝鮮王族 / 日本皇族 / 文化研究 |
研究実績の概要 |
2019年度は科学研究費を採択され、その上、勤務校からは台湾へ留学に出していただけたため、かなり研究は進んだ。すでに研究代表者(李建志)は、朝鮮王朝最後の王である李垠の評伝を書き始めており、2019年3月にその第1巻と第2巻を上梓している。公刊している内容は1897年に李垠が誕生する前後から、1912年に陸軍中央幼年学校に入学したあとまでを描いているが、彼は1970年に亡くなっているので、まだ大正期、昭和期、そして敗戦後の日本と韓国という長い時間を描く必要がある。そのため2019年度は李垠が1910年代および1920年代に何をしてきたか、そしてその時代に日本と朝鮮がどのような環境にあったかを調査し、論文に著した。 具体的には、まず朝鮮と台湾という、ともに大日本帝国の「外地」であったふたつの地域から日本を見るという実験をした。それは勤務校である関西学院大学社会学部紀要に研究ノートとして投稿した。また大正から昭和敗戦前に多くの皇族が台湾を訪れていたということを詳細に調査し、やはり関西学院大学社会学部紀要に論文として投稿した。ここで多くのことがわかったが、端的に言うと日本の皇族が台湾に大勢訪れたのに対して、朝鮮には朝鮮王族および公族(韓国併合条約後に、準皇族としてあつかわれていた)が頻繁に訪れるた。詳しくは拙著論文にゆずるが、日本の皇族は朝鮮を忌避しているという事実を立体的に示すことができた。それは、比較的日本の支配に対して「温順な台湾人」と、独立運動やテロ活動などをする者の多い「危険な朝鮮人」という類型がすでに大正期には成立していることも確認できた。 しかしこれは事実と必ずしも一致しない。台湾でも独立運動はあったし、武力蜂起もあったし、朝鮮でも日本の支配に従う者も少なくはなかったからだ。これらのことも関西学院大学言語教育研究センター研究年報に研究ノートとして発表したところだ。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
李垠の研究は進んでおり、彼の評伝を書いているのだが、すでに幼少期については公刊されている。その続きを書くのが現在の研究段階なのだが、科学研究費の採択に加え、一年間の留学に出してもらえたことにより、研究は進んでいる。例えば、台湾と朝鮮という日本のふたつの「外地」から日本を眺めることにより、より複雑かつ立体的な考察をすることが可能となった。 また、現在の韓国では、安重根のようなテロリストを英雄として扱い、それ以外の見方を許さないような風潮・社会的な圧力があるが、やはり彼らはテロリストであり、しかもそれほど深い思想がないことが明らかになるなど、これから研究代表者(李建志)の研究によって、彼らテロリストを批判的に考えることも可能となる。それは決して小さな一歩ではなく、それまでの「日韓の二校対立的関係」で、加害者日本と被害者朝鮮という、判で押したようなフレームワークをいったん無化させ、さらなる研究の広がりを見せることが可能としたと自負している。 一例を挙げると、台湾で久邇宮邦彦王に斬りかかろうとして死刑になった趙明河について深く考察した。彼は現在、二体も銅像が建っており、しかも独立運動の闘士として建国勲章を追贈され、支配者である日本と闘った英雄として偶像化されているが、彼は憂国の士などではなく、単に貧困による自暴自棄な行動にすぎないことを証明した。 このような独立運動の闘士という偶像は、安重根からはじめ、その後に讃えられている人間たちも、決して思想的な深さがあるわけではないという事実をもとに、日本と朝鮮、支配と被支配という不毛なフレームワークを無化させる、新たな研究をいままさに進めているという自信がある。それは決して「日本が正しい」といっているのではなく、日本の植民地支配に対する批判は大前提として、被支配という立場に固執する韓国研究の世界に風穴を開ける仕事であると考えている。
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今後の研究の推進方策 |
現在、いわゆる新型コロナウィルス騒動(COVID-19)の問題で、海外での調査はかなりしにくくなっている。そのため、研究代表者としては、2019年度一年間、台湾に留学できたのは幸せだったと考えている。今後、台湾を訪問して、研究活動をするというのは、おそらくしばらくできないであろうと考えるからだ。 その反面、2019年度は韓国に行くことができず、韓国学研究中央院や韓国国会図書館、韓国古宮博物館などでの調査をすることも、しばらく難しいと考えられる。これは李垠について研究するという意味では、かなりの難題だともいえる。ゆえに、2020年度に関しては、日本でできる限りの研究活動を行うことを主眼とする。 また本来ならば宮内庁書陵部などでの調査もしたいのであるが、東京をはじめ神奈川、千葉、埼玉の首都圏、京都、大阪、兵庫の関西圏、愛知など中京圏、そして福岡県と、主立った大都市圏は緊急事態宣言を受けており、国会図書館や国立博物館などがある地域はほとんど研究利用ができなくなっている。この事態を受けて、これからどうやってそのマイナス面を乗り越えるのかが課題となる。少なくとも現時点(2020年4月)では、東京出張も不可能だし、おそらく関西でも研究代表者(李建志)の本務校である関西学院大学も、いまは緊急事態宣言の影響で、授業はおろか図書館まで閉館しており、研究活動もままならない。 しかし、研究代表者(李建志)はいままで必要とされる本は多く古書店などから購入して保存しているため、大幅な研究の遅れということにはならないと考えている。できる限りの研究活動を行い、この難題をクリアし、大正時代の李垠について原稿をまとめることが、2020年度の課題となるだろう。
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次年度使用額が生じた理由 |
研究代表者(李建志)は台湾で一年間留学していたため、研究費を日本国内で李垠研究のために使う時間があまりなかった。ただし、放置していたのではなく、むしろ台湾という良好な環境で李垠について考えることができた。また韓国への出張を予定していたが、どうしても台湾での研究を離れるのが難しかったという側面がある。しかし当初の計画では、令和2年の年明けに韓国へ長期の出張をするつもりであったが、折からの新型コロナウィルス騒動で韓国への渡航が難しくなり、結局は韓国への出張を含む李垠研究の進めるという予定は、次年度以降に持ち越すしかなくなってしまった。これが原因で、次年度使用額が生じてしまった。具体的には、2020年度あるいは新型コロナウイルス問題の状況によってはそれ以降に、韓国にある韓国精神文化研究院や韓国国立図書館、韓国古宮博物館などに長期出張を計画している。また、日本における李垠の活動をつぶさに確認するために、宮内庁書陵部や靖国神社偕行社文庫、国会図書館などを訪問する必要がある。そのため、東京などへの長期国内出張が必須となる。その上、李垠はニューヨークやハワイにも住んでいた時期があるので、そのことを確認するためにも、米国への長期の出張が必要だと考えている。これらの旅費や、現場で見つけた文書の複写をする可能性は高く、その複写費用などにもあてるつもりである。
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