研究課題/領域番号 |
19K00538
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研究機関 | 関西学院大学 |
研究代表者 |
李 建志 関西学院大学, 社会学部, 教授 (70329978)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | 朝鮮 / 韓国 / 大日本帝国 / 朝鮮の王および王族 / 皇族 / 昭和天皇 / 大正天皇 / 日韓文化交流 |
研究実績の概要 |
本研究は順調に進んでいる。具体的には、複数の論文、研究ノートの執筆を経て、現在は成果報告の最終段階に進んでいるといっていい。2021年度にその一部を『李氏朝鮮最後の王李垠 第3巻 大日本帝国大正期』(作品社)として上梓し、公開した。その際、科学研究費が大いに役立っており、その旨は上記の書籍に明記されている。そして2022年度は、朝鮮最後の王である李垠の昭和期から解放後の大韓民国との交渉、受けいれなどについて詳しく調査、研究する準備期間に当たっていた。その一部はすでに述べたように発表されているが、より重要なのはまだ論文化もされていない事実発掘の過程である。地道なこの活動が、2022年度の本研究の中心をなすものであった。 これらの研究活動は、本研究最終年度に当たる2023年度中にまとめられる。発表方法は、学術出版(『李氏朝鮮最後の王李垠 第4巻 敗戦前後日本および大韓民国期(仮題)』)として公刊されることが決まっている。また、この研究の多くが科学研究費によってもたらされている事実もいままで通り明記する。 このように、本研究は順調かつ大きな成果をもたらしている。いままでの李垠および朝鮮王公族研究ではあまり使われてこなかった日記類をひもとき、それ以外にも研究代表者(李)が発掘した多くの手書きの資料など、科学研究費で購入したり、閲覧するために出張できたことが、その成果に貢献している。 また、本研究は学術的な内容に留まらず、日韓関係の改善にも大きく作用するという社会貢献の側面を持っているということも付言しよう。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
2022年度は、本研究を完成させる2023年度での研究成果を大きく支える基礎的研究、資料収集、情報収集という側面があったが、それが想像以上にうまく進んでいる。例えば、朝鮮戦争停戦直後の朝鮮半島なかんずく北朝鮮の事情については、詳しく知ることは難しいと考えていたが、火野葦平の「北鮮旅日記」を発掘し、これを翻刻したことで、1955年の北朝鮮(主に平壌と板門店)の状況が詳しくわかるようになった。これは、朝鮮の王であった李垠が、敗戦後にひとりの「在日朝鮮人」にすぎない状況へと変化したのち、それでも祖国に帰ろうと政治的に活動していた1950年代の朝鮮をより深く知るために不可欠なことであったと考える。 さらに、2021年度に発表した李垠の大正時代での活動とりわけ梨本宮方子女王との関係を知る上で必要な、梨本宮家で複数の人びとが罹患したスペイン風邪についてや、李垠と方子女王が興じていた闘球盤(方子女王の日記で確認された事実)について補完する論文を発表できたこともここに重ねて述べておこう。 このような状況なので、本研究はかなり順調に進んでいるのである。しかし、計画通り2023年度により大きな成果を出す準備をした―すなわち当初の予定以上の成果を出すための準備期間として2022年度を活用したため、表面上、論文数などで評価できるものではない。よって「(1)当初の予定以上に進展している」ではなく、あえて「(2)おおむね順調に進展している」とした。
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今後の研究の推進方策 |
2023年度の目標は、李垠の秘密にされてきた人生のなかでも、とくにあまり知られていない日本敗戦後の彼の歩んだ道を明らかにしたい。また、それ以前に昭和戦前期に李垠が欧州を旅したことや、李王家美術館を設けたこと、宮中御歌会始の儀で和歌を詠んでいたことなど、多くの文化活動をしていたことと、陸軍幹部として宇都宮連隊を率いて2・26事件を鎮圧する側にまわっていたことなどにも眼を配る予定である。 また、李垠と方子妃の間に生まれた李玖や、彼の妹である李徳恵、彼の甥にあたる李鍵と李ウ(広島で被曝死)などについても詳しく述べる予定である。いま、私のもとには、2022年度の研究での蓄積で相当な情報が集まっている。李徳恵の娘・宗正恵や李鍵の家族、また李グウの息子たちのことも必ず触れることとする。 また、李垠が文化活動を行っていたことを明らかにするだけではなく、1930年代のソウルにおける文化状況などについても詳しく述べ、より立体的かつ多角的な日韓文化交流および日韓文化史を浮き彫りにすることを計画している。本来、研究代表者(李)は朝鮮近代文学の研究からスタートした比較文学比較文化研究者である。ゆえに、このようないままでの研究蓄積を最大限に活用し、より深く、より広く朝鮮文化に関する研究も行っていく所存である。
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