ヒッタイト語ならびにその周辺の古代アナトリア諸言語に関する文献学的研究は、近年めざましい発展を遂げている。量の面については、発掘されたヒッタイト語粘土板の数はこの30年のうちにほぼ倍になり、総数は現在約3万枚にのぼっている。質の面では、近年の文献学的研究の進展によって、粘土板に記録されたヒッタイト語が古期ヒッタイト語(紀元前1570―1450年)、中期ヒッタイト語(紀元前1450―1380年)、後期ヒッタイト語(紀元前1380―1220年)に時期区分されるようになった。これによって、体系的なヒッタイト歴史文法の構築が可能となった。このような研究状況を背景にして、本年度において以下の研究成果が得られた。 ヒッタイト語の直接引用を表す小辞-wa(r)が印欧祖語*werh1-tからどのように導かれるのか、その先史の解明を試みた。文献学的な立場からヒッタイト語内部の資料を詳細に調査・分析した結果、古期ヒッタイト語では語末位置の-waが語中の-wa(r)よりもはるかに生起数が大きいことが分かった。この結果に基づいて、語末の-waにふくまれる母音aは類推の作用を受けたものではなく、語末の*weが子音wの円唇性によって*-woになった後*oと*a が融合した結果、-waになったことを主張した。アナトリア祖語の母音*eがヒッタイト語でどのように変化したかという問題は非常に複雑であり、隣接子音からの影響も考慮しなければならない。 歴史言語学の研究者で、文献学の重要性をおろそかにする者はいない。本稿は、詳細な文献学的分析が言語史の正確な理解にいかに寄与するかを実証的に明らかにした。
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