研究課題/領域番号 |
19K00583
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研究機関 | 学習院大学 |
研究代表者 |
高田 博行 学習院大学, 文学部, 教授 (80127331)
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研究分担者 |
川喜田 敦子 東京大学, 大学院総合文化研究科, 准教授 (80396837)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | ナチズム / 報道文 / スローガン / プロパガンダ / 政治的言語 |
研究実績の概要 |
『ハンブルク新聞』に関して、前年度に済ませた分に加えて、1930年~1935年分と1942年~1945年(4月7日)分もデータ化し、1930年から1945年までの機械可読の文字データ(約2億2千万語)を作成した。一般新聞である『ハンブルク新聞』との違いが出る可能性があると考え、ナチ党の中央機関紙『フェルキシャー・ベオバハター』(ウィーン版)を新たに分析対象に追加し、1938年~1945年(4月7日)分の『フェルキシャー・ベオバハター』の記事を機械可読の文字データ(約7千万語)にした。 宣伝省大臣ゲッベルスは、新聞記事においては政府の立場を反映したコメントを必ず書くべしという方針を決定した。新聞ではこの方針に合わせ、例えば敵国イギリスには「金権政治」という烙印語を常に付けて、否定的な評価づけが明確な記事が組織的に書かれた。スローガンについては、敗戦の可能性を隠蔽すべく、「われわれは降伏しない」から「われわれは勝利することになる」へ変更する方針が決定され、このスローガンが広められた。1939年末および1940年春の宣伝省秘密会議で、「ドイツの報道においては気力をそぐFrieden(平和、和平)という語は慎しむべし」という言語統制の方針が決定されたが、上の2紙におけるFriedenという語の出現頻度を調査すると、『ベオバハター』のほうにこの方針に合致した語使用が確認できた。(『ベオバハター』では、1940年におけるFriedenの使用は1939年に比してほぼ半減している。『ハンブルク新聞』では、顕著な減少は確認されない)。一方で、すべての年のなかで1945年の記事に最も高い頻度でFriedenという語が用いられたという点では、両新聞は同じである。これは、1945年に入ってドイツが敗戦を迎えるまでのあいだに、「和平」の可能性が新聞紙面で繰り返し語られたことを示唆する。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
『フェルキシャー・ベオバハター』をデータとして新たに入れたことで、新聞記事の特徴が見やすくなった。スローガン分析も宣伝省方針と実際の記事の関係性についても、具体的な分析結果が確実に見えてきている。
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今後の研究の推進方策 |
ナチスドイツの歴史を、第二次世界大戦開戦(1939年9月)を境に開戦前vs開戦後に分けたうえで、開戦前の時期については戦争準備が本格化する第二次四カ年計画の発表(1936年9月)を境に前期vs後期、開戦後の時期については独ソ戦の転換点となったスターリングラード攻防戦の敗北(1943年2月)を境に前期vs後期にさらに二分する。すでに完成している新聞記事データ全体を、このように時期によりグルーピングして、コーパス分析ソフトCorpus Workbenchを用いて有意差検定を行うことで、各時期に特徴的な語と語結合(Nグラム)を抽出する。これにより、報道文において特徴語(キーワード)がどのように通時的に変化したのかを分析する。また、その経年変化が、新聞の性格(一般新聞かナチ党機関紙)によってどのように異なるのかについても比較検討する。各時期の各新聞の報道文における語彙の通時的変化が宣伝省の言語統制方針の変遷と大きく一致するものかを検証し、ナチドイツの言語統制がどの程度に実効性をもっていたのかについて巨視的に考察する。重要度が高いと判明した語については、コロケーション分析(Tスコアによる共起度解析)でコンテクスト的意味(意味論的傾向)についても検討する。
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次年度使用額が生じた理由 |
コロナ渦故に、計画していた国内外の出張がまったくできなくなったため。
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