本研究は、戦時下におけるナチドイツの言語統制の実態に関して、宣伝省会議で決定された方針と新聞の報道文とを照合することにより解明し、究極的には、統制された言語表現を前にして情報を見分け聞き分けるためのリテラシーに迫ろうとするものである。 宣伝省の方針の文章には、対比法、平行法、メタファー、誇大語法、婉曲法などの修辞学的の手法が組み合わせられたいくつかの類型(隠蔽、幻惑、誘導)が区別できることがわかった。新聞記事について、『ハンブルク新聞』(1930~1945年、約2億2千万語)とナチ党中央機関紙『フェルキシャー・ベオバハター』(ウィーン版、1938~1945年、約7千万語)を機械可読の文字データ化した。このデータをもとに、コーパス言語学の手法で有意差検定を行い特徴語を抽出し、それぞれの特徴語に関して歴史学の視点からコンテクスト的意味を検討しながら、言語統制方針と実際の新聞記事との照合を試みた。 その照合の結果、例えば次のことがわかった。開戦の3ヶ月後に敗戦の可能性を隠蔽すべく、「われわれは降伏しない」から「われわれは勝利する」へのスローガン変更の方針が決定され、実際にこの新しいスローガンが新聞で繰り返し報道された。1939年末~1940年春の宣伝省会議で「Frieden(平和)という語を報道文で慎しむべし」という方針が決定され、実際に『フェルキシャー・ベオバハター』でこの語の使用が1940年に前年と比べて半減した。他方で、方針が実際の報道に反映されなかった例としては、1940年5月に戦争目的を意図的に曖昧に表現して「恒久の平和と国民の生存圏(Lebensraum)のために」という表現を繰り返すことが指示されたが、「生活圏」という語自体はどちらの新聞でも前年の1939年に最も多く用いられ、1940年以降は使用が逆に減少していることを挙げることができる。
|