本年度は,直示動詞および人称代名詞の使用に関して,日本語とフランス語のデータの間に見られる類似性と相違を中心に研究を行った.話し手に近づく移動のとき以外にも,日本語では話し手と同じ場所を共有すると見なされるときには「来る」が使われるのに対し,フランス語ではvenirが使えないことが分かっていた.そこで,使役移動のデータを検討したところ,半閉鎖空間内 (仕切りはあるが,壁はないため視認できる空間)に移動者を呼ぶ人がおり,その様子を話し手が側面から見ているという状況においては,フランス語においてもvenirの使用が可能であることが明らかとなった. インタラクションの可能性を開くものとして指示詞を捉える研究 (e.g. Diessel) の中にこの観察結果を位置づけることができる.つまり,使役移動においてフランス語でvenirが使用可能になるのは,呼ぶ人と移動者の間での相互行為の可能性を開くものとして移動を捉えるからだという解釈である.だがこれだけでは,日本語では呼ぶ人がいないときにも「来る」が使えるという事実の説明にはならない.ここから考えられるのは,日本語では話し手の領域が半閉鎖空間全体に広がり,話し手と移動者の関係として「来る」が使われているのに対し,フランス語では移動者と呼ぶ人の相互行為を問題としてvenirが使われるという,異なる捉え方がはたらいているという可能性である.事実,フランス語ではvenir vers elle (come towards her) という言い方も観察されていることから,vers elleという発話を許すように話し手はあくまで自分の視点を保ちながら,同時にvenirによって相互行為の可能性を表現することがあるのに対し,日本語では「彼女の方に来た」というデータは観察されていない.直示動詞の表す捉え方には言語差がある可能性が示唆される結果となった.
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