フライヤー等編の音訳字表Syllabary for the transfer of foreign names into Chinese(以下「Syllabary」と略称)に見える音訳漢字の特徴について分析した。 子音面では英語の阻害音において有声音と無声音を原則として区別しないこと、英語の歯音摩擦音は歯音破裂音で代用していること、英語の音節末子音は限定的にしか音節表に組み込まれておらず、それ以外の子音については子音単独の音訳漢字で対応すること、lとrは単独では区別するものの母音が後続すると区別を失うことを指摘した。また母音については、中舌的要素を含む母音に対しては同じく中舌的要素を含む字が音訳漢字となること、二重母音[oi]にのみ二字の音訳漢字も用意されていること、英語の母音の詳細な区別はなされておらず、その結果音訳漢字の種類がある程度限定されていることが明らかになった。 このような音訳語標準化の試みが現代に直接受け継がれることはなかったものの、その先駆性は正当に評価されるべきであろう。1870ー90年代は来華宣教師を中心とした訳語統一運動が隆盛を迎えた時期である。Syllabaryの目指した音訳語の標準化は、こうした近代語彙創造の一環として理解されるべきであろう。注目すべきは来華宣教師による活発な活動である。例えばDoolittle『英下萃林韻府』には本稿で取り上げたSyllabaryと同じ趣旨の音訳字表も掲げられている 。これは来華宣教師Ewerによって編纂された、粤語に基づく表であった。音訳語の標準化に向けて音訳字表が複数提案されていたことは興味深い事実である。19世紀末から20世紀初頭にかけて行われた各種試みとその経過についてはさらなる分析と検討が求められるであろう。
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