本研究は、これまで日本儒学史・漢文学の分野において中心的に扱われてきた、近世漢学者の研究について、日本語に関する言及を精査することにより、近世日本における日本語研究のあり方を、国学に偏頗することなく総体的に把握することを目的とし、具体的には、古文辞学派を打ち立てた荻生徂徠と、太宰春台、堀景山、市川鶴鳴といった徂徠以後の門流や関係者の言語研究に関して、日本語への言及をもとに考察を行った。 本居宣長の国学研究において、古文辞学に深い見識を示した漢学者、堀景山の影響が見られることは夙に知られているが、景山自身についての研究成果もあまり多くない。しかも、堀景山伝世本『日本書紀』のおける歌註書入や、随筆『不尽言』における言語論について、本格的な分析を行ったものはほとんどないと言ってよい。また、活用研究に極めて優れた業績を残した鈴木朖も、古文辞学派漢学者市川鶴鳴の弟子であるが、鶴鳴については、『まがのひれ』をめぐる国儒論争にのみが注目され、『大学』註釈に見える言語論等はほとんど言及されない。古文辞学派の特徴は、古言と今言との懸隔を捉える言語観にあり、古文辞学派漢学者の多くはこの点について、何らかの言及をしている。これを無視する形で国学を捉えることは、国学が自立的に展開したとする恣意的な理解に陥る恐れがある。本研究では、上述の堀景山、市川鶴鳴等の著述に見られる言語論と、国学者の学問形成に与えた影響について書誌学的検討からはじめ、最終的には言語思想史的考察を行った。特に『不尽言』については写本が多く、末流として退けられた写本についても、細部において検討を要することから、数種写本との校合を行った。
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