今年度は令和4年度報告書記載の研究実績①の研究を進め、成果を研究会(2件)で口頭発表した。 日本語のイ落ち構文(例:「うまっ」)は時制解釈が瞬間的現在時に特化する。当該構文が時制辞の役割を果たす終止形活用語尾「い」を持たないことを考慮すると、これは不思議な振る舞いである。形式的に時制の指定を受けないのだから、時制解釈が特化せずとも良いはずだからである。 イ落ち構文における時制解釈の選択は一般的観点から語用論に動機付けることができる(今野 2012)。すなわち、文法的指定がない場合は、話者が常にそこに存在するという点で無標の時制解釈といえる瞬間的現在時が選択される。これは、代名詞と時制の類似性を指摘したPartee (1973)の見解を「裏側」から支持する。現在時解釈には持続的なものと瞬間的なものがある(中右 1994)が、イ落ち構文が受ける瞬間的現在時解釈は、表す時間領域がより制限的であるという点で、相対的に情報量が多い現在時解釈だといえる。イ落ち構文におけるゼロ時制と瞬間的現在時解釈の対応は、ゼロ照応をはじめとする縮約形式が情報量の多い解釈を受けるという傾向(Levinson 1987)と合致し、ゼロ形という観点から代名詞と時制の並行性を示唆する。 イ落ち構文における時制解釈の特化は日本語の時制体系という個別言語的観点から語用論的に動機付けられる。日英対照研究により、日本語の定形時制辞は直示性が低く、対照的に英語の定形時制辞は直示性が高いことが指摘されている(樋口 2000など)。この日本語の特徴により、イ落ち構文における定形時制辞「い」の不在は、時制解釈における直示性の低さを否定し、語用論的に選択された直示性の高い瞬間的現在時解釈への特化を妨げない。イ落ち構文における定形時制辞の欠如が示す直示性の高さは、日本語における定形時制辞の直示性の低さと反比例の関係にある。
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