研究課題/領域番号 |
19K00711
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研究機関 | 九州大学 |
研究代表者 |
金 テイ実 九州大学, 留学生センター, 訪問研究員 (30733323)
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研究分担者 |
郭 俊海 九州大学, 留学生センター, 教授 (20377203)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | 満洲 / 日本 / 鉄嶺 / 日語学堂 / 教育 |
研究実績の概要 |
日本はかつて鉄嶺を含む満洲と呼ばれた地域の支配に直接関与した。その関与に満鉄沿線付属地における教育があった。本研究では、満洲研究史料にはよく出てくるものの、実態の不明な「鉄嶺日語学堂」を取り上げ、主に鉄嶺県誌等と銀州文史史料の回顧録を使って満鉄が満洲鉄嶺に設置・経営していたその実態を探ったものである。日露戦争後、満洲に進出した日本は鉄嶺に於いて、通訳養成のために1910年9月に鉄嶺日語学堂を設立するが、その後、実業教育の一環として、鉄嶺商業学校に変え、日本の経済侵略に役立つ人材育成に乗り出した。この学校では、国旗掲揚式、東京方向の天皇に向かって礼拝、新京方向の皇帝に向かって礼拝、国民訓唱和、講師講話などを重視し、また日本語教育を中心に、精神的にも言語的にもあくまでも日本への忠誠心を培うことを優先とした。また太平洋戦争の最中、学生は勤労奉仕という名目で戦争協力に駆り出され、勤労奉仕に明け暮れていたことが本研究によって明らかになった。 本研究は、満洲教育史研究の一齣であり、未だに全体像が明らかになっていないものも含まれているが、これらの作業をいわば蓄積型、積み上げ方式と考えて、その一端を示すことにする。今後も「鉄嶺日語学堂」及び本稿で触れている「自強日語義塾」「日語協合学院」について新資料を発掘して研究を重ね、歴史的事実の究明に近づけたい。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
本研究は文研研究であるため、史料調査が必要であるが、コロナ禍で、現地に向かって新史料の発掘ができなかったため、既に収集した史料を読み直したり、現地の友人に史料調査を頼んだりしながら分析を行った。
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今後の研究の推進方策 |
今まで収集した史料から満洲各地域に存在した学校(校舎)、学習者、教材、教師に視点を置いて再度読み直し、分析を行う。それと共に、コロナ禍の進行状況によるが、日本、中国、韓国の史料所蔵機関に向かい、史料調査を行う。また、ネットワークを使い、現地の研究者に頼んで史料調査を行う。
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次年度使用額が生じた理由 |
コロナ渦で予定していた海外での史料調査ができなくなったためである。続けて海外史料調査を予定している。
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