日本・「満洲国」・「蒙疆政権」を包括的に捉え検証した結果、対共産主義工作として、三者の文化工作ネットワークを構築し特に日本語人材育成が重視された。1939年以降、外地の日本語教育の統一性を図ろうと文部省が介入しようとしたことにより、反発する動きが生じた。様々な思惑から「満洲国」と「蒙疆政権」の両者間で協力関係も築かれた。体系的な日本語が日本国内でも確立していなかったこともあり、「満洲国」・「蒙疆政権」での日本語が独自の形を整えていった。そこでの教育実践によって生じた問題がそのまま日本に逆流し、対策を講じなければならない状況となった。三者の連関の統一性のなさが、日本語普及の挫折に繋がっていった。
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