今年度は、昨年度に引き続き、戦時期日本における日雇労働者の動員組織=扶桑会の指導者であった飛田勝造に焦点を当て、研究を進めた。具体的には、大洗町にある飛田の残した藤田東湖像とその関連資料を調査するとともに、愛知県に出張し、扶桑会関係の史料の調査を進めた。 その結果、第一に、飛田が戦時から戦後にかけて故郷の磯浜と深い関係を持ち、石碑などのモニュメントを通して自身の戦争観や歴史観を披歴していたことが分かった。第二に、これまで飛田の自伝でしか見ることができなかった扶桑会の設立にかかわった労務供給請負業者の名簿の実物を閲覧することができ、その活動規模が全国に広がるものであったことが明らかとなった。 これらの成果をふまえ、ここまで進めてきた労務供給請負業者と戦争のかかわり方についての議論をあらためてまとめなおした。飛田を中心とする労務供給請負業者は、1930年代には「人道」と「戦争」という二つの危機を眼前に、新しい業界の活路を見出す必要に迫られた。その具体的な対応として、第一に、日雇労働者を「同じ人間」という見地から郷土の搾取を当然とみなす業界の弊風を改めることが掲げられた。第二に、労働力動員に伴う合理化の波に対し、むしろ積極的に協力することで、労務供給請負業者の存在意義を提示しようとした。 結局飛田らの戦時下の運動は実ることはなく、敗戦後、戦後改革のなかで労務供給請負業者の活動は否定されていくことになるが、そのことはむしろ飛田の意識に自身の戦争協力の意義を深く刻み込むことになり、戦後社会に対する批判的なまなざしを与えることにつながったと考えられる。 以上の研究成果は、「労務供給請負業と戦争」(『月刊東京』446号、2023年8月)で発表した。
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