研究実績の概要 |
・本年度は、これまでに収集した史料の解読や整理、関連論文の読破と検討などを中心に研究を進めた。 ・福島県伊達市梁川町の旧家が、新田義貞の家臣団の末裔を名乗って剣術指導を行っていた記事(「川内家録集」)。 ・奥州白河の領主だった結城氏の旧臣で白河で帰農した旧家が、戊辰戦争時に結城家が白河口に出兵した際、結城家の動員に応じていた事例(白河市歴史資料館特別展展示図録)。 ・磐井郡藤沢町(一関市)「丸吉皆川家日誌」慶応4年4月の記事に、猟師を軍事動員したり、千厩で農兵訓練をした記事など。 ・北辰一刀流の創始者千葉周作の生地については諸説あったが、仙台藩士で千葉周作の門人でもあった桜田良佐の日記「済美館天保日記」により、本吉郡気仙沼村生まれであることが確認できた。「父千葉忠左衛門と申者、先年浪人仕、浦山寿貞と改名、当国本吉郡気仙沼村住居、医業仕罷在候砌、右周作義、同所ニ於て出生仕~」 ・千葉周作の門人で庶民剣士から主家の剣術指南役になった鈴木直之進の事例の確認。文化元年(1804年)、仙台藩領陸奥国遠田郡大貫村に伊藤久兵衛の三男として生まれ、のち涌谷の鈴木氏に婿入。剣術に興味を示し、柳生心眼流を修め、亘理伊達氏の剣術師範・一丸水之助(安倍左膳)に師事して小野派一刀流を極め、さらに天保11年(1840年)には江戸に出て千葉周作に北辰一刀流を学んだ。安政4年(1857年)、涌谷家中の剣術指南役を拝命。新たに天辰一刀流を興す。1,500人余の入門者があった。
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