研究計画の1年目は資料調査が主な予定であった。課題であった先島地方の新聞記事については、2019年11月に沖縄で、8月と11月に東京でまた史料調査を行い、『宮古毎日新聞』を1973年6月まで、『八重山毎日新聞』を1971年6月まで収集した。また、9月に米国国立公文書館新館での史料調査を行い、資料を収集した。 沖縄戦終結後の1945年から、沖縄において「反復帰」論が出現する直前、復帰運動が本格的に左展開する前の1060年代後半までの、沖縄メディアにおける皇室報道を分析し、河西秀哉編『<地域>から見える天皇制』に論文「戦後沖縄の皇室報道―「反復帰」論出現以前を中心に―」を寄稿した。 本稿の目的は、戦後沖縄の新聞における皇室報道を分析し、戦後沖縄県民の天皇観を浮かび上がらせることにある。まず本土に残留した県民の間では、日本政府の支援を受けた『沖縄新民報』が、政府の県民支援策の不備を指摘しながらも、県民に同情を寄せる皇室像を宣伝した。対照的に、沖縄の独立をも視野に入れた民主化を最優先した『自由沖縄』は皇室に対して無関心であった。沖縄においては、サンフランシスコ講和条約発効以前の新聞は、皇室についてほとんど報道せず、その能力も乏しかった。条約発効以後は、当初親米路線をとった『琉球新報』も、日本復帰を社論とした『沖縄タイムス』も、皇室の冠婚葬祭を積極的に報道し、また県民に関心を寄せる皇室を日本と沖縄の絆の象徴として描いた。皇室の冠婚葬祭に参加することを復帰運動の一環としてとらえていたのである。ただし復帰運動や新聞報道の当事者がどこまで皇室を崇敬していたかは疑わしい。日本復帰を自明の理とする立場から、皇室を重んじるべきという先入観にとらわれた報道姿勢であり、県民がどこまで支持していたかは、今後検討を加える余地がある。
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