研究課題/領域番号 |
19K00976
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研究機関 | 島根大学 |
研究代表者 |
小林 准士 島根大学, 学術研究院人文社会科学系, 教授 (80294354)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | 日蓮宗 / 摂受 / 折伏 / 神職 / 争論 |
研究実績の概要 |
佛教史学会の2022年度大会において「近世日蓮宗における折伏主義と争論の展開」と題して研究報告を行った。この報告では、本科研によるこれまでの調査研究の成果を踏まえ、妙解院日透の『護法得宜論』と石見国安濃郡大田南村妙光寺日荘の著述である『末法要行録』両書の検討を通じて、日透と日荘との間の論争における構図を把握し、その上で日荘に見られる折伏主義的傾向が誘発したと考えられる、地域における紛争を取り上げた。具体的には、妙光寺の近隣にある浄土真宗寺院である稲用村浄土寺の教恩との紛争と、大田南村神職石崎志摩との争論を取り扱った。これにより、法華経至上主義に立ち他宗派を批判する折伏を重視した教化が、地域内における宗派間の緊張や神職との争論を惹起したことを明らかにした。 また、大田南村神職の石崎志摩が記録した「石州大田南村神職石崎志摩・同所日蓮宗妙光寺隠居日荘出入公訴一件写」(津和野町堀家文書)を全文翻刻し史料紹介した。この史料を上述の佛教史学会大会における報告でも利用し、石崎志摩と日荘の争論全体の経緯を明らかにするとともに、神職石崎氏が本所吉田家を頼って訴訟を進めたこと、これに対し日荘は本山である本国寺の支援を十分には得られなかったと考えられること、争論を裁いた幕府役人が日蓮宗内諸派の動向をある程度把握しながら吟味を進めていたこと、他の紛争事例と異なり、日荘に厳しい処罰が下った背景を探る必要があること、などを指摘した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
当初の計画に照らして、現在までの進捗状況について見てみると、石見国幕領における妙光寺日荘が関わった論争や紛争については、基本的な史料の把握と分析を進めることができたと言える。しかし日蓮宗の妙光寺の文書については所蔵が確認できないことも判明したため、今後は他の事例を探して検討を進めることが必要となった。英智院日宣の『甲府神道問答記』についての検討も途中となっているが、甲斐国で神道講釈をして日蓮宗僧侶との論争のきっかけを作った人物が千家満鰭彦という出雲大社の神職であることは確認することができたので、今後の調査の手がかりは掴むことができた。 また3年間にわたるコロナ禍の影響で、島根県内の浄土真宗寺院所蔵の史料調査が十分には進められていないので、当初想定していた三業惑乱関係の地域史料の把握は進んでいない。その代わりに、三業惑乱の発端となった功存の『願生帰命弁』を批判した『興復記』の著者である宝厳の著作と、彼の異義を裁いた東本願寺学寮関係の史料の収集は進めることができた。 さらに、国立国会図書館蔵の「公事吟味留」に日蓮宗内の異端の動向に関わる史料が含まれていることが確認できたので、翻刻作業を行い完了させた。
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今後の研究の推進方策 |
当初の想定どおりには史料調査が進展しなかったため、1年間、延長することにした。 昨年度の佛教史学会大会で報告した内容を論文にまとめること、その際に大田南村の神職石崎志摩と同村妙光寺日荘との争論事例などと、宝暦期の岡山における神職と日蓮宗各宗派との紛争、浄土真宗寺院と石見国行恒村神職石崎中務との争論などの事例を比較検討することを心がける。 また、英智院日宣の『四箇名言論』『甲府神道問答記』の分析を試みるとともに、甲斐国で日蓮宗僧と論争した千家満鰭彦の動向を調査する。 さらに、『願生帰命弁』を批判した『興復記』の著者である宝厳の著作と関係史料の分析を進め、宝厳の思想の特徴を明らかにするとともに、彼が東本願寺によって異義者として裁かれたことの意味について考察する。 以上の調査研究と併行して、島根県内の浄土真宗寺院史料の調査も再開することにする。
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次年度使用額が生じた理由 |
本科研では当初、寺院史料の整理と調査を計画していたが、コロナ禍の影響により現地に赴いての調査が制約されてしまった。このため、調査旅費や謝金の支払いなどが発生せず、その分執行しない予算が生じた。また、これにより研究の進展にも遅れを生じたため、1年間延長することにし、最終年度の予算を残しておくことにした。 次年度については、浄土真宗寺院史料の調査を再開するため、調査費用に経費を充てることとする。また論文執筆に必要な研究文献の収集などにも経費を充てる予定である。
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