本年度は、昨年度までの成果を踏まえ、遅延の挽回を図りつつ、東南院文書の現状成立過程の全体像とその意義について解明を進め、報告書『東南院文書成立過程の研究』を刊行した。以下、その内容を摘記する。 東南院文書中、料紙面に折本状の痕跡が残る17巻について、カラーデジタル高精細画像(東京大学史料編纂所にて公開)に基づき、現状を一覧表化した。その上で、「内部からの視点」=現状に残された痕跡と、「外部からの視点」=文書目録・文書出納日記・点検記録とを比較した結果、折本状の痕跡は、院政期の東大寺別当寛信による文書整理の結果を示すものとの結論を得た。折本状から現在の巻子装となったのは、江戸期の点検記録に基づくと、天和元(1681)年~享保6(1721)年の間のことであり、その後も、天保9(1838)年~同11年の間に手が加えられた巻もあるなど、種々の過程を経て現状が成立すると考えられる。 寛信は東大寺伝来の公験類の保全を図り、それらを分類・整理し、貼り継いで続文の状態にしたと考えられる。これは、散逸を防ぐためには有効である一方で、所収文書を参照する際の不便を生じる。そこで、必要頻度の高いものを折本状にすることで、不便を解消したと理解される。これは、個々の文書が活用される価値を有していたからこその措置であり、それが巻子装になるのは、そうした価値や意義が失われた(それが第一義ではなくなった)ことを意味し、古物となったことを示している。この観点に立ち、他の文書群についても検討を加えることや、文書の効力に関し再考する必要性を覚えた。 また、寺外流出文書のうち、たとえば国立公文書館(内閣文庫)所蔵の東大寺文書に折本状の痕跡を留めるものが存在し、かつて東大寺領摂津国猪名・長洲荘の公験としてまとめられていたことが想定できるなど、文書の配列や所属の復原を行う上で大きな手がかりとなることを確認できた。
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