敗戦から74年が経過し、いわゆる「終戦」関連の報道も少ない一年であった。戦争の記憶の風化が一段とすすみ、過去の歴史への関心も低下している。他方、データーベースが整備されたことで、歴史史料の検索が容易になり、同時に、史料の量が格段に増加した。また、内外における先行研究の量も増えており、その把握にもつとめた。 法政大学国際日本学研究所公開研究会(法政大学、2019年12月04日)において「東京大空襲を考える-その政治的影響を中心に-」と題して報告を行った。 発表準備のために、先行研究を読んでいたところ、『朝日新聞』(1942年10月2日)の記事を知った。見出しには「虎視眈々・米空軍東京空襲を企図/綿密なる調査を了し 模型で爆撃の猛訓練 本土防衛寸刻も怠るな」とあり、関連資料を調査した。空襲に関係する史料を収集するため、市町村の図書館や、都道府県の史料館において史料収集を行った。空襲警報についても調査を行ったが、不明な点も多かった。また『昭和天皇実録』には「午後1時20分、盛厚王妃成子内親王は鳥居坂御殿において分娩し、男子が誕生する。天皇は御文庫において内大臣木戸幸一と御用談中、その報に接せられ、内大臣より祝詞の言上を受けられる」(3月10日)という記述があり、東久邇宮関連の史料を戦前から戦後にいたるまで幅広く収集した。 『昭和天皇実録』や関連する史料を対象に「空襲」「原爆」「戦災」といった多くのキーワードを作成し、キーワード別に一覧表を作成した。『昭和天皇実録』に登場する人物については、各人物ごとに、史料収集を行った。
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