安良城盛昭氏によって「太閤検地革命説」が唱えられて以降、豊臣政権の基本政策である「太閤検地」は、社会経済史的な側面から説明されることが多かった。この結果、小農自立の実現に代表されるような大きな成果をあげてきた。本研究はこうした理解に疑問を呈し、「太閤検地」の本質を同一基準(石高)によって日本国内の「富」を数値化することにあるのではないかと考え、そうした視点から実証研究を積み上げてきた。国内の「富」は「御前帳」として具現化され、これを基に政権は国替えなどを進め、統一基準による軍役の賦課などを通じて、領主階級の合理的編成をすすめるることとなった。
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