研究課題/領域番号 |
19K01007
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分03020:日本史関連
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研究機関 | 京都先端科学大学 |
研究代表者 |
平 雅行 京都先端科学大学, 人文学部, 特任教授 (10171399)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | 鎌倉幕府 / 鶴岡八幡宮 / 北条時頼 / 九条頼経 / 定豪 / 定親 / 定清 / 頼助 |
研究成果の概要 |
鎌倉真言派の展開を検討し、以下の事実を明らかにした。(1)鎌倉で初めての密教僧である定豪は、勝長寿院や鶴岡八幡宮の別当となり、この一門が鎌倉真言派の主流となった。ただし定豪が奥州の平泉惣別当に就任した事実はない。 (2)定豪の弟子のうち定親は、将軍権力と北条得宗との権力闘争に巻き込まれて1248年に追放された。その後、鎌倉真言派は低迷の時代に入るが、定清と定憲がきびしい時期を支えた。 (3)鎌倉随心院流の厳恵は将軍宗尊の護持僧となったが、1266年に宗尊とともに失脚した。鎌倉三宝院流の守海は、執権北条経時の子である頼助を育てた。やがて頼助を中心に鎌倉真言派は爆発的に発展し、京都にも進出した。
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自由記述の分野 |
日本中世仏教史
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研究成果の学術的意義や社会的意義 |
鎌倉真言派の検討によって、以下の事実を明らかにした。(1)鎌倉幕府と禅宗とのつながりが過剰に強調されてきたが、それは北条時頼段階の一時的現象であり、幕府が保護した中心は顕密仏教である。 (2)『吾妻鏡』の記事が1266年で終わっていることが、鎌倉幕府の宗教政策研究の制約となっていた。本研究は鎌倉で活躍した僧正の数を指標とすることで、幕府の政策に2度の転換(寛元・宝治の政変とモンゴル襲来)があったことを解明した。鎌倉真言派の展開も、幕府の政策転換から大きな影響を受けている。(3)幕府と主従関係を結んだのは僧侶や貴族にも及んでおり、本研究によって鎌倉幕府を多面的に捉えることが可能となった。
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