研究課題/領域番号 |
19K01015
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研究機関 | 東京外国語大学 |
研究代表者 |
野田 仁 東京外国語大学, アジア・アフリカ言語文化研究所, 准教授 (00549420)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | 中央アジア / 移民 / 革命 / 新疆 / カザフ / クルグズ / ドゥンガン |
研究実績の概要 |
本研究は、中央アジアにおける1916年反乱について、その過程で発生した、東に隣接する中国新疆への逃亡者に焦点を当てるものである。彼らの処遇・送還をめぐる各国間の交渉を分析し、この反乱の広域的な意義を再検討することを目的とする。 2020年度は、中華民国・新疆省政府側の対応に焦点を当て、中国側の対応と、ロシアからの越境者・逃亡者の送還・残留の関連性を検討することを主とした。まず、直近の時期に、ロシア・中国(清)間で移民の問題をどのように処理していたのかについて論文として発表した。反乱前後の中国側の対応について、当初計画していた台湾での資料調査は実現しなかったため、代わって、ロシア側公刊資料集の記述およびすでに公けにされている中国新疆省政府の公文書(楊増新の文集)を対照させて、ワークショップにおける報告をまとめた。その際に討論者のBrophy氏(シドニー大学)より宗教面でのアプローチについて貴重なコメントを受けた。 上記報告の主な内容は以下の通りである。中央アジアにおける1916年反乱を契機とする中国側への移動について、とくにドゥンガン(回民・回族)のケースに焦点を当てて、その国外的影響を論じたこの報告の議論のポイントは3点あった。第一に露清国境の開放性である。第二に、セミレチエから中国領新疆への避難が主流であった点があり、ここでは、ドゥンガンの移住と関連する哥老会組織とケシ栽培について合わせて検討した。第三に、難民の移動に対する各方面の対応である。ロシア側では、ドイツの扇動による中国側の誘因を大いに疑っていた。中国側では難民は送還せず、むしろロシア領内における混乱、とりわけカラコルにおける中国籍商人らの虐殺を批判していた。さらに中国(とくに新疆省政府)の方針に対してイギリスの諜報活動が役割を果たしていたと考えられる点が重要であり、これについてはさらに今後も検討していきたい。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
海外における資料調査が十分にできていないため。
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今後の研究の推進方策 |
海外調査の可能性は残しつつも、国内でも入手可能なデータベース(英国公文書等)などに比重を移して作業を進めることとしたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
未納品となった図書が多かったため次年度使用額が生じた。次年度においても資料の入手のために図書費として使用する計画である。
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