劉克荘の文集に所載されている書信は大きく分けて「啓」と「書」に大別される。「書」は公文書と連動して用いられる公的な機能を有するものがある一方、多くが私的領域において親しい友人・知人間において様々なことを議論したり、心情、意見を交換する媒体として用いられる。そのため、文学、思想史の領域において多くの成果が出されている。一方、「啓」は昇進、赴任、退任、誕生日など折々の儀礼的な書信としての性格が強く、宋代書信研究においては十分な分析が行われていない。 本研究では劉克荘の「啓」を網羅的に分析し、以下のことを明らかにした。(1)「啓」には公的空間で用いられるものと私的空間で用いられるものがあり、その対象は異なる。(2)「啓」は儀礼的な挨拶文として用いられるため、一種のテンプレートのように同様な表現が用いられる。これは「啓」の送り先がしばしば複数であったことと関係する。また歴史的な故事を比喩的な形で使用するが、その中に作者の個人的な体験や心情が潜んでいる。(3)「啓」の使用法を見ていると「状」「書」などと連動して用いられている事例を確認することができる。書信研究においてはこうした複合的な視角が不可欠となる。(4)「啓」は個人の意見や心情を表すものであるが、その一方、「啓」は歴史的故事を用いた比喩が多く、読む側に共通な認識を求める一種の「読者共同体」 を前提とするものであり、そこに当時の士大夫たちの「集合心性」を読み取ることも可能である。
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