研究課題/領域番号 |
19K01036
|
研究機関 | 盛岡大学 |
研究代表者 |
佐藤 貴保 盛岡大学, 文学部, 准教授 (40403026)
|
研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2022-03-31
|
キーワード | 西夏 / 地方支配 / 敦煌 / 監軍司 / 経略使 |
研究実績の概要 |
令和元年度は、西夏の法令集『天盛禁令』に出現する地方官庁監軍司や経略使の記述を抽出する作業を進め、法令集を所蔵するロシア科学アカデミー東方文献研究所での実見調査を令和2年3月に実施する予定であったが、新型コロナウイルス感染症拡大により調査を中止した。 一方、研究代表者はこれまで別のプロジェクトで中国甘粛省河西回廊西部に位置する瓜州県に現存する石窟寺院楡林窟を実見調査しており、その中でも第29窟壁画に残されている西夏時代の供養人像の服装と供養人の官職名・姓名を記した題記が本研究課題の目的である西夏の地方支配のあり方の分析にも有用であると考え、服装や文字の分析を進めた。供養人像・題記の分析の結果、第29窟は西夏時代の河西回廊西部の地方官庁監軍司の漢人官僚が造営した石窟であり、その一族が供養人像として複数描かれていること、その石窟を造営した地方官僚の一族は代々河西回廊西部の監軍司の官僚や都で西夏皇帝の側近に仕える官僚を輩出していた可能性が高いこと、彼らが漢人やタングート人、その他の民族と通婚していたことが明らかになった。そして、西夏滅亡後のモンゴル帝国時代に書かれた西夏人の伝記史料や西夏の隣国宋の記録との比較から、供養人像として描かれている男性の多くが、都で西夏皇帝の側近に仕える業務を務めた後に地方官僚として採用された可能性が高いことを明らかにした。そして西夏の中央政府が地方を支配するにあたって在地の漢人氏族を利用しているものの、無条件で世襲させていたわけではなく、皇帝の側近で働かせる業務を経験させたり、石窟の造営を中央政府が支援するかたちで中央と地方とのつながりを維持しようとしていたことを明らかにした。 以上の研究成果は、令和2年3月刊行の大学紀要に発表した。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
当初計画ではロシア科学アカデミー東方文献研究所(サンクト=ペテルブルク市)を訪問して、同研究所が所蔵する西夏の法令集を実見調査し、監軍司や経略使など西夏の地方支配に関連する記述を解読する予定であったが、新型コロナウイルス感染症拡大により渡航を中止したため、調査活動が大幅に遅れている。
|
今後の研究の推進方策 |
ロシア科学アカデミー東方文献研究所での文献実見調査は、ウイルス感染の終息を見ないかぎり実施は難しく、令和2年度中も調査ができないものと予想される。研究期間を当初より1年延長して令和4年度まで繰り下げることを視野に入れながら、令和2年度は公刊済みの文献の写真版を使うことによる西夏の法令集・行政文書の解読作業を進め、監軍司や経略使の職掌を分析していく。
|
次年度使用額が生じた理由 |
当初予定していたロシア科学アカデミー東方文献研究所での文献調査を、新型コロナウイルス感染症拡大により中止したため、執行予定であった出張旅費が執行できず、次年度に使用することとなったため。
|