研究期間を1年間延長して実施した本研究ではあったが、長引くコロナ禍の影響で、研究計画の当初から本研究の眼目としていた Bundesarchiv(ドイツ)、国際連合図書館(ジュネーヴ)、Central Zionist Archives(エルサレム)の所蔵史料の利用については、現地での調査を最後まで果たすことができなかった。ただし、研究期間の終盤においてではあったが、史料のデジタル化の進捗や現地の研究協力者の助力によって、限定的ながらその一部の入手が叶い、成果に取り入れることが出来た。その一方で、E. Kelmes の博士論文(1958年)をはじめとする重要な文献や史料を、複写による入手ないし勤務校の図書館を通じての貸借について所蔵館との交渉に努めたにも拘わらず、研究期間中、未見のままになったことは残念である。 こうした予想外の事態の中ではあったが、ヨーロッパ民族会議の歴史において最も重要な1925~1933年の時期については、本研究を通じて独創性をもつ成果を問うことが出来た。とりわけ本年度は、ポーランド・ユダヤ人とヨーロッパ民族会議との具体的関係を明らかにした英語論文を発表した。これは、昨年中に書き上げ、査読を経てすでに掲載が決定されていたものではあったが、出版社の意向もあり、その後も若干の加筆の機会が与えられ、本年度における史料分析の成果も加味することが出来た。その結果、同論文は、必ずしもポーランド・ユダヤ人の視点に限定して民族会議を論じたものではなく、ユダヤ人グループが会議に参加していた全期間 (1925~1933年) における会議の諸相を、従来の研究の誤りを正しつつ、これまで明確でなかった点をも解明したものに仕上がり、それは従来のヨーロッパ民族会議研究の空白を埋め、同研究の進展に寄与しうる水準のものと自負している
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