研究課題/領域番号 |
19K01071
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研究機関 | 秋田大学 |
研究代表者 |
佐藤 猛 秋田大学, 教育文化学部, 准教授 (30512769)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | 百年戦争 / トゥール休戦協定 / シャルル7世 / オルレアン公シャルル / アンジュー公ルネ / ヘンリー6世 / グロスター公ハンフリ― |
研究実績の概要 |
百年戦争はいかにして終結したかという研究課題のもと、その核となる1444年のトゥール休戦協定の内容を踏まえて、そこにいたる和平交渉のプロセスを検討した。 まずは、本協定の関連文書として最も正確だと評価されているパリ・シャトレ裁判所記録集版のテキスト(条約テキスト、英仏全権代表への信任状、条約の批准文書)を講読、分析した。そのなかで、本協定では、英王ヘンリー6世・仏王シャルル7世とともに、両者の同盟者が協定の当事者となっていることに改めて注目した。仏側の同盟者は、ローマ王、スコットランド王、カスティリヤ王などとともに、フランス王国の諸侯層が当事者として記された。これにより、かれらがトゥール和平交渉に何を求め、期待したのかを明らかにする必要が生じたため、1439年より北仏のグラヴリーヌ(仏・ブルゴーニュ側)とカレー(英側)の中間地点で行われた和平交渉の経過について、英仏の先行研究を整理・検討した。その上で、英側書記による議事録と仏側の年代記などを分析した結果、仏側ではオルレアン公とブルゴーニュ公の役割が重要だったことが明らかとなった。そこで、フランス諸侯層の動向については、1442年の仏中東部ヌヴェールにおける諸侯会合後の王への建白内容を分析対象に加えて考察した。 以上の結果、戦争後半期の英仏和平交渉では、二人の王及び王家だけではなく、フランス諸侯層を中心とするその他の勢力の利害が入り込み、それらが平和条約締結への阻害要因として働いていたことを明らかにした。しかし、これはあくまで1440年代における英仏和平交渉を取り巻く状況についての大枠を明らかにしたものにすぎない。 成果については、トゥール休戦協定成立の背景を考察した査読付論文1本(掲載予定)、同協定の仏側全権代表であるベルトラン・ド・ボーヴォーに関する査読無論文1本(刊行済)、百年戦争の通史を叙述した単著1冊を発表した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
当初の計画通り、本研究の核となるトゥール休戦協定の背景までについて、英仏それぞれの側で残された史料の分析を通じて明らかにすることができた。特に、1439年グラヴリーヌ―カレー間和平交渉から1444年トゥール休戦協定にいたる期間において、フランスではプラグリーの乱と呼ばれる諸侯の反乱が勃発した。この乱は、国王シャルル7世が和平交渉に関する助言を得るために開催したオルレアン全国三部会を受けて、その翌月に発した軍政改革に対して、諸侯層が反発して起こしたものである。この王国内の騒擾と和平交渉の行方がどのように連動していたかを示すことができた。 プラグリーの乱によって、予定されていた和平交渉が中止になったのみならず、諸侯層はシャルル7世に対抗するためにイングランド王ヘンリー6世に救援を求め、その証として反乱諸侯の一人アルマニャック伯の娘とイングランド王との結婚を実現しようとした。1442年の王への建白の内容を踏まえると、諸侯層は軍政改革への反対表明を交渉カードとして、シャルル7世から官職や定期金の授与を得ようと画策したとも考えられるが、このことが和平交渉の停滞のみならず、その複雑化をもたらしたことが明らかとなった。フランス王権にとっては、英占領軍の撤退を目指して国内の軍政および財政を整備すると、それに伴い、慣習上の権利の喪失を危惧する諸侯層の抵抗に直面するというジレンマが生じた。こうした点が、仏側が軍事的優位にもかかわらず、平和条約締結を実現できなかったことの一因となったとの見通しを得た。 なお、グラヴリーヌ―カレー間和平交渉に関する英側の動きを分析する中で、現状に対する英側の認識不足という事実が、国王顧問会の記録集などから明らかになった。これは当初の研究計画には含まれていない論点であるが、和平交渉が妥結しなかった重要な要因の一つとして注視していく。
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今後の研究の推進方策 |
検討対象を一つの諸侯(家門)に絞ることで、フランス諸侯層がトゥール休戦協定前後における英仏和平交渉に対して、いかなる利害を有し、その背景には彼らの王国統治上あるいは家門戦略上のどのような要求があったのかを究明する。対象はアンジュー公ルネおよび同公家とする。 トゥール休戦協定においては、その証(仏側の人質)としてアンジュー公ルネの娘マルグリットとイングランド王ヘンリー6世の結婚が締結された。アンジュー公ルネおよびフランス王シャルル7世がこの結婚に何を期待したかを明らかにするためには、20,000フラン・マヨルカ島・メノルカ島という持参金の評価、マルグリットが王族の娘であるが王女ではないことをどのように考えるかなどが、重要な論点となる。これらの婚姻協定の背景としては、アンジュー公国の一部が英軍占領下に置かれていたという地域特有の事情や、ルネが当時の国王顧問会の中で有した地位も考慮していく予定である。 検討する史料としては、婚姻証書が未刊行であり、現在フランス国立図書館に所蔵されていることが分かっている。その取り寄せおよび分析とともに、ルネの使節への信任状、アンジュー側の年代記、1450年に発せられたアンジューの惨状に関するシャルル7世への嘆願書などを講読・分析することにより、アンジュー公家がイングランド王家と家門同盟を結ぶことにどのようなメリットを見出したのかを明らかにする。英側ではトゥール休戦協定の締結前、ヘンリー6世の結婚について各国からいくつかの提案がなされたが、いずれも結実しなかった。その背景の検討を通じて、フランス諸侯家門との婚姻への思惑について検討する。 くわえて、進捗状況の末尾であげた英側の現状認識不足については国王顧問会議事録などを分析することで、イングランド王家がフランス王家ではなく、その諸侯家門との家門同盟を結ぼとした背景についても、可能な限り追及する。
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