本研究は南部の移民政策について、ミシシッピ・デルタの綿作地帯(コットンベルト)のイタリア人入植地(サニーサイド農園)とフロリダ鉄道建設現場を事例にとりあげ、両者の違いを分析した。その結果、本研究の貴重な成果は、連邦司法省のペオネージ調査史料を収集・分析し、劣悪な労働現場となった単身出稼ぎ型のフロリダ州鉄道建設やアラバマ州鉄鋼現場に対して、ミシシッピ・デルタの農園では家族定住型移民を誘致し、より良い入植条件を整備した点を明らかにした。この点は1910年代から20年代にかけて南部一帯からミシシッピ・デルタの綿作地帯へと人口流入が起きた背景を説明するうえで有益な成果である。 これまで南部移民政策は詐欺的な労働斡旋、借金奴隷労働、差別と暴力ゆえに、国内外の批判を浴び、ニューヨークやシカゴなど北部大都市を選び南部を敬遠した結果と考えられた。先行研究の指摘は男性単身移住者にはあてはまるが、綿作地帯では紡績、綿繰り、綿積み作業など、児童労働や女性労働を必要としたため、家族単位での入植を前提とした。したがって、家族単位での誘致となると、経済的な利点だけでなく、教育、衛生、教会、社会的なコミュニティの形成なくして実現しなかった。これらの知見から本研究は先行研究の指摘は、ミシシッピ・デルタには必ずしも該当しないと結論付けた。 しかし、このことは移民の経済的自立を促進し、同郷者によって建設された移民入植地への労働力移動を招いたため、結果的に南部移民政策は挫折した。一方、入植後、病気や家族の死別によって過重債務化したイタリア人移民が入植地に滞留した。
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