研究課題
古墳時代の首長墓系列に関する地域研究は、文字資料のない古墳時代の政治・社会構造を把握するにあたって重視されてきた。広島県の近年の古墳研究は停滞しているものの、わずかな調査の積み重ねから首長墓系列の検討も可能となってきた。広島市の太田川下流域(広島湾岸)には、弥生時代終末期に石囲い墓が造営された。西願寺北墳墓、西願寺墳墓群、梨ケ谷墳墓群が続く。古墳時代前期になると、宇那木山2号墳、神宮山1号墳、中小田1号墳など、前方後円墳が連綿と築造された。竪穴式石室を埋葬施設とし、画文帯神獣鏡や内行花文鏡、三角縁四神四獣鏡など、漢魏の舶載鏡が副葬された。東広島市(西条盆地)では、古墳時代前期中葉に40mの円墳、長者スクモ塚1号墳が造営されたとわかってきた。墳頂に2基の粘土槨をもち、安芸地域では最古段階となる円筒埴輪を墳裾に巡らした。しかしその後、長者スクモ塚2号墳や丸山神社古墳、仙人塚古墳なども築造されたが、多くは円墳となり、墳頂部には箱形石棺が複数埋置されるようになった。これらの調査例から、広島湾岸における畿内政権の影響はかなり直接的であり、墳丘築造・埋葬施設の造営協力とともに、舶載鏡の贈与を受けた。その一方で、西条盆地では伝統的な箱形石棺や、石棺を粘土や石で囲う在地墓制を引き継いだ。倭製鏡しか副葬されなかったことからも、畿内政権の影響はきわめて間接的、断片的と言わざるを得ない。つまり、古墳時代前期の安芸地域では、畿内政権との交流の有無によって、墳丘や埋葬施設、さらには副葬品にまで明確な格差が生じていたとみてよい。しかし、古墳時代中期になると、畿内政権の変革とともに、海上航行の困難な安芸灘よりも陸路の要衝、西条地域が重視され、三ッ城古墳の造営へと向かった。河内政権の王陵に類したプランをもつ大型前方後円墳でありながら、在地系埋葬施設を荘厳化したものとなった。
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広島大学大学院人間社会科学研究科考古学研究室紀要
巻: 13 ページ: 79-109
10.15027/55128