研究課題/領域番号 |
19K01121
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研究機関 | 一般財団法人大阪市文化財協会 |
研究代表者 |
松本 啓子 一般財団法人大阪市文化財協会, 学芸部門, 主任学芸員 (20344377)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | マジョリカ陶器 / 日欧交流史 / 鎖国 / 宗教改革 / 天正遣欧少年使節 / 色絵フォグリー文アルバレルロ / 禁教令 |
研究実績の概要 |
ルネッサンス期にヨーロッパで一世風靡したマジョリカ陶器のアルバレルロという壺は、本来はカトリック修道院薬局の薬壺で、美しい意匠の注文品である。大航海時代にヨーロッパ船で世界中に広まった。17世紀中頃の大坂城下町跡出土の色絵フォグリー文アルバレルロは、日本にやって来たマジョリカを代表する壺で、ヨーロッパのマジョリカと実物比較すると、壺本体の作りは同時代のヨーロッパのものだが、意匠だけは何故か16世紀後半と古く、本体と意匠の年代が乖離する奇妙な壺である。ゆえに日本向けの注文品と考えた。日本に輸入された17世紀中頃は鎖国期、禁教令下であるが、半世紀も前の意匠のカトリック寄りの壺が茶道具に採用されたのである。この時期、ヨーロッパではフォグリー文は廃れているので、16世紀後半の修道院薬局に並ぶフォグリー文壺の情報の伝達者がいなければ生まれない壺である。プロテスタントであるがゆえに出島交易ができたオランダ人がカトリックにしかない修道院御用達の器の伝達者とは考えにくく、ましてや宣教師や渡航禁止令下の日本人はなおさらである。だが、16世紀末の天正遣欧少年使節団の千々石ミゲルなら可能性がある。 そこで、本研究期間中に天正少年使節の訪問地を辿り、色絵フォグリー文を知ることができたのかを調べることにした。その手始めに、2019年度は彼らの訪問記録がある、ポルトガル・ブラガンサ公爵宮殿とスペインのフェリペⅡ世のエル・エスコリアル宮殿・修道院で16世紀末のマジョリカ陶器と、他の器物に色絵フォグリー文があるのか、そして、アントワープやオランダ語圏各地との物流・往来について調べた。 また、国内では「17世紀の東アジア海域と三人の冒険商人」と「対外交易の窓口 長崎・出島」の講演会で、国内外の研究者と意見交換・情報収集を行った。 これらと並行して、これまでの研究成果をまとめた書籍を出版すべく、執筆を行った。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
天正遣欧少年使節の行程中のポルトガルとスペインで、色絵フォグリー文アルバレルロや他の器の色絵フォグリー文の有無、アントワープやオランダ語圏との往来について調べた。 ポルトガルの有力貴族で1640年にスペインから王位を奪還したブラガンサ公爵の宮殿は、天正遣欧少年使節がローマまで往復する途中、2回訪問し、彼らが公爵家で歓待されたという記録がある。公爵のポルトガル王即位により、大半の調度品もリスボンに運ばれたため、マジョリカ陶器の色絵フォグリー文アルバレルロや色絵フォグリー文の使用例はないが、1558年銘のアントワープ・デン・サルム工房製のマジョリカ陶器のタイルパネルが今でも壁面を飾っているほか、16世紀の最高級品のアントワープ製タペストリーなどもあり、アントワープとの往来が窺え、色絵フォグリー文認識の可能性が考えられた。 16世紀後半の最高権力者スペイン王フェリペⅡ世のエル・エスコリアル宮殿・修道院でも、天正遣欧少年使節の記録があり、彼らのことは知られているが、現在までに調度品の多くが売却されたため、マジョリカの色絵フォグリー文アルバレルロやフォグリー文使用例は見られない。天正遣欧少年使節の帰国後の悲劇を伝えると大変驚かれ、色絵フォグリー文は今まで気にしていなかったので注意してみることと、他の研究者にも問合せてみるとのお言葉をいただいた。 「17世紀の東アジア海域と三人の冒険商人」の講演でフランソワーズ・カロンの情報を得た。1600年ブリュッセルに生まれ、1619年頃、平戸のオランダ東インド会社員だった彼は、幕府の通訳でポルトガル追放にも関与した。彼はプロテスタントとみられ、16世紀後半の色絵フォグリー文を日本に紹介するのは無理と考えられた。 「対外交易の窓口 長崎・出島」の講演から近世初期の出島交易の情報を得、参加研究者との意見交換で、千々石ミゲル墓推定地の調査の情報を得た。
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今後の研究の推進方策 |
2019年同様に2020年度も国内資料と海外資料の調査と情報収集を行い、併せて口頭発表・論文や書籍化で研究発表を行う。 国外については、新型コロナウィルスが終息した後の渡航を考えている。このため、いくつかの候補地を考えている。それは、まず、16世紀のマジョリカ陶器色絵フォグリー文アルバレルロの伝世品があるとの情報を得たフランス・イサンジョー病院が挙げられる。また、天正遣欧少年使節の拠点滞在地であった場所では、マカオやインドのゴア、コチン、スペイン・バルセロナ、イタリア・ジェノバ、ミラノ、ベネティア、そしてローマといった都市が挙げられる。さらに、17世紀のオランダ連合東インド会社の貿易拠点であった台湾の台南(ゼーランジア城)、インドネシアのジャカルタ(バタヴィア城)といった都市などを考えているが、これらのうち、本研究の調査のための安全な渡航が可能で、かつ研究者とのやりとりが可能なところの調査を行う。 国内についても、新型コロナウィルスが終息した後に、日本考古学協会での口頭発表を行うほか、諫早市の千々石ミゲル墓推定地やマジョリカが出土した大村城跡、17世紀初頭に遣欧使節団を派遣した伊達氏関係の資料調査(仙台)などが候補として挙げられるが、これらのうちで訪問可能なところの調査を行う。 このほか、今までの研究成果の論文・書籍化作業は今から確実にとりかかることができので、まずはこれらから進めていきたい。
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