研究課題/領域番号 |
19K01168
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研究機関 | 筑波大学 |
研究代表者 |
小口 千明 筑波大学, 人文社会系(名誉教授), 名誉教授 (20169254)
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研究分担者 |
中西 僚太郎 筑波大学, 人文社会系, 教授 (70202215)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | 温州蜜柑 / 小蜜柑 / 有核 / 子種 / 子孫繁栄 / 接ぎ木 / 苗木商 / 江戸時代 |
研究実績の概要 |
蜜柑や柑橘栽培に関する従来の研究の大半は平均気温や積算温度、地質、傾斜、日照などの自然条件や輸送条件に着目して産地形成における有利な条件の検証に力が注がれた。それらは一定の有効性を持つが、江戸時代から日本に存在する温州蜜柑がなぜ明治期に入ってから爆発的に需要増大となったかを説明するには不十分であった。それに対し本研究は、江戸時代に日本人が好んだ蜜柑は有核のキシュウミカン(通称:小蜜柑)で、有核であることが人間界の子種から子孫繁栄を連想させ、いっぽう江戸時代には人気が乏しかった温州蜜柑は無核であることから子種無し、すなわち子孫途絶の不吉さを連想させることとの関連から、小蜜柑と温州蜜柑に対する高評価の交代と生産高の傾向を説明しようとする試みである。 本年度は、研究代表者(小口)と研究分担者(中西)とにおいてまず江戸時代の文献および明治期の文献において上記の見解が首肯されることを確認し、問題意識を共有したうえで、江戸時代後期から明治期にかけて蜜柑が生産された実績がある地域を選定し、実地調査を行った。研究代表者(小口)は能率を上げるために、一部地域については協力者(黒須)に現地での資料収集の助力を受けた。現地調査では幕末・明治期における蜜柑栽培・出荷関係古文書の撮影と蜜柑古木の観察、とくに接ぎ木部分の台木と穂木について注目し、写真撮影を行った。 現地調査は、具体的には江戸時代から蜜柑栽培実績が認められる青江(大分県)、長島(鹿児島県)、伊木力(長崎県)、蒲刈(広島県)、三ケ日(静岡県)および各近傍を対象とし、江戸時代における蜜柑需要はおおむね有核の小蜜柑であることが確かめられた。また、多くの蜜柑古木に接ぎ木痕が認められ、蜜柑需要の変化には接ぎ木を扱う苗木商の関与に注目する必要性が明らかになった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
初年度は日本国内を対象とした現地調査の実施に重点を置く計画を立てた。その計画に沿って、日本国内における江戸時代から存在する蜜柑栽培地域のうち主要な青江(大分県)、長島(鹿児島県)、伊木力(長崎県)、蒲刈(広島県)、三ケ日(静岡県)およびその近傍における現地調査と資料収集が実施できた。とくに蒲刈およびその近傍では呉市豊浜支所の協力が得られてきわめて効率よく資料収集が進み、本研究の推進に寄与するものである。 江戸時代から存在する蜜柑栽培地域として河内(熊本県)、立間(愛媛県)、有田(和歌山県)があり、できればこれらの地域も現地調査を実施したく考えているので、これらは今後の調査候補地としたく考える。
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今後の研究の推進方策 |
本研究においては、江戸時代から蜜柑栽培が盛んに行われた地域の実態を把握する必要があり、そのために本年度に実施できなかった河内(熊本県)や有田(和歌山県)などの現地調査と資料収集を今後行う必要がある。 それとともに、今年度の調査によって浮上した蜜柑苗木の生産地域や有力苗木商について、一宮(愛知県)、伊丹(兵庫県)、田主丸(福岡県)などの動向について資料調査を行う必要がある。 さらに、明治期に入ると日本では蜜柑の輸出が試みられるようになり、それに際して有核=子種有り、無核=子種無し、との認識が変化した可能性がある。そのためには明治期における蜜柑輸出資料の収集が必要である。具体的には農商務省等の官庁統計や官報、博覧会資料を収集するとともに、横浜(神奈川県)、清水(静岡県)、門司(福岡県)など輸出時に重要であった港湾関係の文書資料を収集する計画である。
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次年度使用額が生じた理由 |
2020年2月と3月に現地調査に行こうと考えていた地域があるが、新型コロナウィルスの蔓延が報じられ、危険回避のため現地調査を中止した。同金額を無駄なものに支出することはできないので、翌年度に回し、新型コロナウィルス終息後にあらためて現地調査に赴きたい。
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