本研究課題は,当初計画した研究期間が一昨年度までであったところ,コロナ禍の影響により開始初年度から海外現地調査が進まなかったため研究期間を延長した。延長2年目の今年度は前年度の調査内容を深化させるためにバスク地方とブエノスアイレスにおいて現地調査を実施した。その成果の一部を論説などにまとめ公表した。ここまでで明らかになったことを簡潔にまとめると次のようになる。 19世紀末のバスク地方では自治権の回復を求めるナショナリズム運動が活発化し,同じころに海外へ移住したバスク人の間にもその運動が伝播し,ブエノスアイレスなどのバスク・ディアスポラにおいて故地のナショナリズムを支援する運動が活発化した。その後,バスク地方におけるナショナリズム運動は過激化し分離独立の主張を強めた,1975年のフランコ体制終焉後,ナショナリズム運動は穏健なバスク文化復興運動へと転換した。その一例として,旧ビスカヤ領主国における地方自治の中心地の一つでかつての議事堂が所在するアベジャネダでは,かつての自治の顕彰である議会建造物が地元地域とのつながりを表象する博物館として活用され,穏健なバスク・ナショナリズム運動の顕彰として機能している。ディアスポラに目を向けると,19世紀末から20世紀前半にかけてバスク・センターが各地に創設され,故地のナショナリズム運動を支援したが,現在ではディアスポラ構成員の結束と故地とのつながりを強化する組織に変質しつつある。それを促進するのがバスク州政府のディアスポラ政策と支援金である。このように故地とディアスポラを巡るナショナリズムは,両者のつながりにおいて故地のナショナリズム変容が反映さらることで維持されているといえる。
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