研究課題/領域番号 |
19K01208
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研究機関 | 法政大学 |
研究代表者 |
山本 真鳥 法政大学, その他部局等, 名誉教授 (20174815)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | 歴史人類学 / 植民地主義 / オセアニア / 年季契約労働 / 奴隷 / サモア / 中国人 / インド人 |
研究実績の概要 |
令和4年度に行った文献調査の読み込みをまとめて、「オセアニア植民地時代における非白人移住者(2)―サモアのプランテーション開発と年季契約労働・序説―」と題した論文を執筆した。サモアの正式な植民地化は1899年のことであったが、実質的な植民地開発は1860年代に開始される。開発を担っていた半官半民のドイツ貿易プランテーション会社は、最初ギルバート諸島から労働者を連れてきたが、成功したとは言い難い。その後、ドイツの太平洋全体の植民地化構想の中で、ドイツ領ソロモン諸島からメラネシア人労働者を導入した。しかしその後も、サモアは労働者不足が著しく、1900年にドイツ植民地政府成立後、中国人の年季契約労働者を導入することとなった。第1次世界大戦後、サモアはニュージーランドの国際連盟委任統治領となるが、新政府もこの政策を引き継ぎ、年季契約労働者の導入は1934年まで続き、最後の帰還船の出航は1948年のことであった。その間、年季契約労働者は結婚が許されず、年季明けには帰国が推奨され、年季が明けた労働者も職業を制限されるなど、多くの人権侵害を受けた。ごく少数残留した中国人らは最終的に結婚が認められ、サモア社会へと同化するに至った。この論文をもととして、書籍執筆の折には、史料を綿密に批判検討して「本論」とする予定である。 10月にニュージーランド・古文書館への訪問が実現したが、史料収集の仕事はまだ半分程度残っている。 令和4年度の終わり頃の日本オセアニア学会での研究発表では、同様に年季契約労働者としてフィジーに移住したインド人についても基礎的文献調査を行った。年季明けにも残留が許され、数少ないながら移民していたインド人女性と結婚して家族をもつこともあり、ビジネスへの道も開けてコミュニティが生成され、サモアに残った中国人とは対照的な結末を迎えている。今後の比較研究の焦点が見えてきたといえる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
新型コロナウィルスによる国境閉鎖に伴い、令和1~3年度とニュージーランドの古文書館での文献調査はもとより、サモアでのフィールドワークができなかった。その後、家族の健康上の理由ができたために、令和4年度の渡航も1回だけとなってしまった。研究期間を1年延長していただき、今後の機会を探りたい。
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今後の研究の推進方策 |
1)引き続き、令和4年度に日本オセアニア学会で行った口頭発表「オセアニア植民地時代における非白人移住者(3)―フィジーのインド人年季契約労働者―」を論文としてまとめる。未読の文献が多いので、これを読み込む。 2)6月に行われる日本文化人類学会で「年季契約労働者の歴史人類学―植民地時代サモアのプランテーションと労働者―」と題する口頭発表を行う。 3)ニュージーランド公文書館での文献調査を再度行う。時間が取れればサモアにも足を延ばす。 4)ハワイのケースについて、さらに文献を読み込む。 5)国立民族学博物館を訪問して文献調査を行う。
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次年度使用額が生じた理由 |
新型コロナのために、調査の計画が大幅に遅れ、研究計画そのものに遅れが生じた後、家族の病気が重なり、令和4年度に一度の海外調査を行ったが、その後海外調査そのものが難しい状況となってしまった。令和5年度には、できるだけ機会を得て、海外調査や、海外の学会での研究発表に挑戦するつもりである。
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