研究実績の概要 |
以下の3つが具体的な研究課題である。(Ⅰ)ドイツの城主権力はフランスのシャテルニー(城主支配権)と同質的なバン権力ではないか,(Ⅱ)11・12世紀ドイツの城塞支配権=シャテルニーの形成は、それ以前の領主直営地型荘園制から地代荘園制への転換に対処するために、城主=領主が新たに城塞を中心とするアムトAmt(管轄区)に数多の地代荘園を整理統合・再編成するために実行されたのではないか,(Ⅲ)城塞支配権=シャテルニーは中世都市と共に、しばしば、1250年頃以後に発展する領国(ラントLand)の地方行政組織=アムト制の基礎とされたのではないか。 以上の課題を効果的に究明するために,昨年度は先ず具体的な研究対象として,(1)中世ドイツ王権の最盛期を現出したシュタウフェン王朝の本拠城塞シュタウフェン,(2)またその家臣パッペンハイム家の諸城塞,(3)1180年以降,ドイツの古定住地で唯一大公として纏まりをもつ領国バイエルンを発展させることに成功したヴィッテルスバッハ家の諸城塞,(4)最後に、ダウン伯が所有するドイツ西部モーゼル河以南のフンスリュック地方で最大の城塞の一つシュミットブルク城塞を取り上げ,関係の史料と文献を渉猟し収集すると同時に,その解読と検討に努めた。その結果,差当たり次の成果が得られた。 上記の研究対象(1)(2)(3)(4)に即して、同じく上記の研究課題(Ⅰ),(Ⅱ),(Ⅲ)を解明することができる見通しが確実に得られた。特に、上記の研究対象(3)に関して言えば、バイエルン大公が1231/34年に作成させた最初の徴税台帳では、地方行政区36のうち27で城塞が役所の所在地つまり中心となっており、ここから地方行政区は極めてしばしば城主支配圏をなしたといえる。またこの27の地方行政区の前身はヴィッテルスバッハ家とその他貴族の城主支配圏であるとの見通しも得られた。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
上記の具体的研究対象の各々について述べたい。(1)シュタウフェン王朝の本拠城塞シュタウフェンについて、史料集『ヴュルテムベルク証書集』及び城塞史家H=M・マウラーの著作『ホーエンシュタウフェン城塞――ある皇帝家系の本拠城塞の歴史――』(1977)等を検討することにより、上記の研究課題(Ⅰ)(Ⅱ)を解明する道筋がついた。(2)シュタウフェン家の家臣パッペンハイム家の諸城塞については,W・クラフトの『帝国軍務官・フォン・パッペンハイムの収入台帳』(1929)の検討により、上記の研究課題(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)を解明する展望が開かれた。(3)ヴィッテルスバッハ家の諸城塞について、上記の最初の徴税台帳を収録するI・ヘーク=エンゲルハルトの『バイエルン大公の最初の徴税台帳』(1990)等の分析に基づき,特に上記の研究課題(Ⅲ)を解明する明確な端緒を獲得することができた。(4)最後に、ダウン伯のシュミットブルク城塞に関し,W・ファブリキウス の論文『ナーエ川下流域の支配権 ナーエガウとその周辺地』(1914)の分析を通じて,上記の研究課題(Ⅰ)と(Ⅲ)を解明する手掛かりが発見された。
|
今後の研究の推進方策 |
上記のように,課題の研究はおおむね順調に進展しているので,上記の具体的研究対象の各々について挙げた史料や文献の分析と解読を一層推し進めると同時に,さらに広くその他の関係分献をも渉猟収集し,こうして自説の補強と構築に努め,著書または論文の作成につなげてゆくことを目標として研究を進めてゆくことにしたい。
|