今年度は、ひきつづき、境界線にかかわる問題についての規範的な研究に従事した。ひとつには、移民正義論について、(ネイションの)自決という観点から先行研究を整理し、国境規制論についての批判的な検討を行った。国境規制論は、自決を根拠にネイションないし当該国民国家が移民を排除するある程度の権利を有するという。それに対して、国境解放論は一般に、排除される人の人権やそうした手続きの(民主的)正当性という観点から批判を行ってきた。それは妥当ではあるが、そもそも自決を根拠にして国境規制論を論じることがどこまで妥当なのかはさほど言及されてこなかった。そこで、いわゆる国境規制論者が自決を根拠にして論じる国境規制論は道徳的正当化には、「外的な正当化」が欠けているという点で不十分だと指摘して、外的な正当性を担保するなんらかの制度枠組みの必要性について指摘した。 いまひとつは領土的一体性と自衛についてである。領土的一体性を保全するために行う自衛戦争の正当化論について、特にセシル・ファーブルのコスモポリタニズム的な戦争論に対する批判的な検討を手掛かりに論じた。ファーブルの議論は、人道的介入などの道徳的な正当化論を提供できる点では意義深いように思われるが、こと領土にまつわる自衛戦争については、なぜこの領土を防衛すべきなのかといういわゆる「個別性の要請」に答えにくいという点でいささか心許ない。したがって、自衛戦争の倫理も、いわゆる領土権の正当化論とセットで論じられる必要があり、そうすると、その正当化についても、内的な正当化のみならず外的な正当化が求められる点を指摘した。 研究期間全体を通して、グローバルな正義論におけるナショナリスト的な視座のもたらす含意と限界について、移民正義論をに関するものを中心に、いくつかのまとまった論考を揃えることができ、そのうちのいくつかの知見を著書としてまとめることができた。
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