ドイツ航空機産業の黎明期、とくに第一次世界大戦後、ヴェルサイユ体制で英仏など「協商国」を筆頭とする連合国から課せられた厳しい制限(最初は航空機禁止、その解除後も大型機開発の禁止など)に立ち向かいながら、戦時中に金属製航空機開発に果敢に乗り出していったフーゴ―・ユンカースは、ドイツ11月革命勃発・休戦に入ると即座に、全金属製の民間機J13(F13)を開発し、その性能で全世界を驚かせた。彼は軍用機制限をむしろ自らの国際主義的民族主義・民主主義の見地で克服しようとし、大西洋横断の懸賞にもただちに応募することとした。そのチャレンジにより、20年代後半、世界初の東から西への大西洋溶断を成功させるまでに航空機開発に成功した。 フーゴ―はドイツ国内・ヨーロッパ諸地域の航空機による交通革命を目指した。民間旅客機開発に集中し、会社のなかに航空部を創設し、航空路線の開発、そこへの自社降雨雨季の投入、すなわち、航空輸送部門(ユンカース航空)を発展させた。 だが全金属航空機に対し、諸外国から強度の熱視線がそそがれたのは、軍用機であった。ユンカースはドイツにおける軍用機禁止を回避するため、最初ヴェルサイユ体制から疎外されたソ連に、ドイツ国防軍の要請を受けて工場進出することとなった。だが素材となるアルミニウムの生産・安定的調達、工場建設等に困難を極め、金融危機に陥った。そこから脱出するためスウェーデンに子会社(形式上は独立の)航空機会社を創設した。デッサウ本社で設計その他主要生産体制を構築しながら、軍用機向けの最後の組み立てをこの子会社で行い、世界の軍用機需要に応じた。しかし軍用機といっても、あくまでも民間旅客機を本体とし、機関銃を何丁が装備する程度あった。ユンカース航空機の骨格・主要機能は、航空交通用・運輸用の航空機であった。その特徴をカムフラージュに利用しながら、ナチ政権は秘密再軍備を強行した。
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