全日本造船機械労働組合三菱造船支部の資料を活用して、第二次世界大戦直後から1970年代前半にかけての三菱造船長崎造船所の人的資源管理の変容とその運用の実態を検証した。その結果、戦後の人事制度改革後も、戦前期の「身分」に類似する性格を持つ「資格」を基準とする人事制度が存在し、その下で、大学卒業者に対応する資格である技師への下位教育資格保有者の登用および工員の職員への登用が、勤続報償的性格を帯びながら行われていたこと、1969年に実施された職能資格制度への人事制度改革後に、「青空の見える労務管理」により工員から管理職への昇進が可能になったという通念とは異なり、職員への登用が制限されるようになったことが明らかになった。 また、戦前期の造船業に関して、海軍工廠と三菱長崎造船所の人事記録、職員録を利用した人事データベースを作成し、教育資格と組織内キャリアの関係を分析し、下位教育資格保有者の上位身分への広範な登用が存在し、その背景に彼らへの充実した組織内教育と職務上での彼らの役割の重要性があったことを明らかにした。 以前発表した研究成果を加筆補正したものと合わせて、以上の研究成果を単著(研究業績参照)にまとめて刊行した。 また、19世紀後半のオーストラリアの労働市場に関する文献調査を行い、いわゆる「日本的雇用制度」に類似する内部労働市場がホワイトカラーを対象に成立していたことを論じる論考を、オーストラリアでの日本商社の人的資源管理を解明した書籍に寄稿した。 そのほか、高校卒業者を対象とする日本企業の企業内教育を検討し、それが高卒者を大卒者に準じる人的資源へと育てるうえで重要な役割を果たしたことを明らかにし、人的資源形成の主要な方法として、学校教育と徒弟制度に加えて企業内教育を第三の方法として位置付けることを提唱する論考を英語と日本語で発表した。
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