(1)大正・昭和戦前期の毛利家について、加賀前田家その他の大藩大名華族との比較分析によって、種々の興味深い知見がえられた。まず昭和金融恐慌によって華族らが大打撃を被ったという従来の通説は、でたらめであった。むろん十五銀行株を所有しておれば、同株価値の棄損によって損失を被ったことは事実であるが、同恐慌によって毛利・前田ほかほとんどの華族の受けた打撃は、各家の総資産に対してたいしたものではなかった。むしろ昭和恐慌による株価の下落、配当率の低下の方がより深刻であった。また関東大震災によってかなり打撃を受けた有力大名華族も存在した。そしてそのような恐慌よりも、毛利家にとって大きな打撃となったのは、1938年の代替わりによって発生した相続税賦課であった。この点、毛利家以外では、家によって異なる。島津家のように相続がなかったために(または前田家のように相続があっても同税免除になる戦死による相続のために)日露戦時期に創設された同税を賦課されなかった家もあれば、2度賦課された家もある。しかし昭和戦中期以降に同税税率が急上昇するまではそれほどの税率ではなかったから、相続税によって資産家としての根幹が揺らぐようなことはほぼなかったし、毛利家も同様であった。 (2)大正期以降、資産額時価が急上昇した大名華族は、東京近辺に広大な土地を所有していた家であった。典型は前田家・肥前鍋島家などである。前田は昭和期に資産額時価のほぼ半分が土地であった。昭和のトップクラスの大名華族は都市地主貴族だった。毛利も東京付近に明治末まで前田を上回るほどの土地を所有したが、値上がりするとさっさと売却したため、もっと値上がりするまで売らなかった前田に資産額で差をつけられた。毛利は幕末以来ややせっかちなところがあった。 (3)毛利は大正期以降それまで同家に影響力があった井上馨ほかの元老らが没したため、自己犠牲的姿勢が弱まった。
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