研究課題/領域番号 |
19K01795
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研究機関 | 南山大学 |
研究代表者 |
澤井 実 南山大学, 経営学部, 教授 (90162536)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | 軽機械 / 中小カメラメーカー / ミシン / 双眼鏡 / アセンブルメーカー / 四畳半メーカー / アメリカ市場 |
研究実績の概要 |
本年度はとくに1950年代から60年代に活躍する中小カメラメーカーの動向について検討した。研究開発、生産技術、国内外の販売体制、兼業生産、電子化への対応などの諸課題に対して、人的制約の厳しい中小カメラメーカーがどのように対応したのか、あるいはできなかったのかを検討した。 戦後復興期から高度成長へと向かう1950年代は専門部品メーカーが生産する部品を組み立てる「アセンブルメーカー」が活躍した時代であった。ミシンや双眼鏡といった軽機械だけでなく、カメラ生産においてもアセンブルメーカーの発展の可能性がしばしば語られた。しかし現実には一貫生産を追求する少数の大規模カメラメーカーが国内外市場において次第に存在感を高めていったことが明らかになった。 1951~53年のカメラブームは朝鮮戦争の休戦が成立した53年末から54年の不況によって終焉した。こうした中で二眼レフを中心に大幅な値下げ競争が展開され、「四畳半メーカー」はもちろん中堅メーカーを含めて約30社が整理・倒産した。二眼レフに代わって登場したのが35ミリレンズシャッター機であったが、競争の激しい2万円前後の中級機の分野では、相次ぐ新型の発表と値下げ競争が激化した。さらに61年3月にキヤノンカメラから発売されたEEカメラ「キヤノネットⅠ」の登場を機に、60年代半ばまでに35ミリレンズシャッターといえばほとんどがEEカメラとなった。こうした1950年代の激しい景況の変化、技術革新の進展に対応できない中小カメラメーカーが退場する中で、カメラ業界では大手企業の存在感が着実に増大した。 しかしマミヤ光機やペトリカメラなどの中堅企業は独自の技術基盤をもとに発展し、アメリカ市場においても一流のディストリビューターと提携して独自の地歩を確立した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
新型感染症の拡大にともなって図書館の利用に制約があるなどの障害があったものの、研究はほぼ順調に進展している。その理由として本研究ではカメラ、ミシン、双眼鏡を主な対象としているが、それぞれの業界動向については業界紙、業界団体関係資料を閲覧することができ、豊富な情報を入手できたことが大きい。 双眼鏡については1959年4月に制定された「軽機械の輸出の振興に関する法律」(軽機械振興法との関連を検討し、さらに東京都板橋区を中心とする生産構造のあり方、輸出商社の実態、企業金融、若年労働者の技能形成、カーブジェネレーターに代表される技術革新などを考察し、続いて双眼鏡輸出カルテル、具体的には日本双眼鏡輸出調整組合、日本双眼鏡輸出振興株式会社、日本双眼鏡輸出振興事業協会の効果とその限界に就いて調査を進めた。 カメラについては主要中堅メーカーのアメリカ市場進出について検討した。生産技術において1950年代に大きな進展を示したカメラメーカーであったが、輸出について商社に依存するしかなかった。しかし輸出商社もアメリカ国内の流通網に日本製カメラを乗せるには卸売業者(ディストリビューター)に依存するしかなく、市場情報の非対称性にも規定されてカメラメーカーのディストリビューターに対する地位は必ずしも高いものではなかった。そうした状況を打破するためカメラメーカーを直接販売網の構築を目指していかなる方策をとったのかを検討した。 アメリカの業界雑誌のバックナンバーを検討することによって、日本製カメラのブランドの浸透度を考察した。当初メーカー名とディストリビューター名が併記して刻印されてていたカメラが次第にメーカー名の表示のみに変化するが、これは両者の間の力関係の変化を端的に物語るものといえるだろう。
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今後の研究の推進方策 |
今後の研究の進展方策としては、カメラとしてミシン輸出において何故日本製のブランドの浸透度が低かったのかを検討してみたい。もちろんアメリカ市場にはシンガー社という強大なメーカーが存在したが、日本の主要メーカーがブランド戦略を展開しなかった訳ではなった。蛇の目、リッカー、ブラザー工業といった大手一貫メーカーはそれぞれにアメリカ市場において販売会社を設立して自社ブランドにもとづく直接販売を試みた。にもかかららずブラザー工業を除いてその成果は期待したほどではなかった。その原因を究明することが今後の大きな研究課題である。 現時点ではいわゆる「カラスミシン」の存在を考察する必要性があると思われる。カラスミシンとはブランドを刻印しない黒色のミシンであり、アメリカ市場において取り扱うディストリビューター自身が自己のブランドを付して販売するミシンである。このカラスミシン以外にも例えばシアーズ・ローバック社などからのOEM生産も展開された。カラスミシンやOEM生産に担い手の多くは大阪地域に所在する中小ミシンメーカーであった。これらの中小ミシンメーカー製品は標準化されたミシン部品を組み立てた製品であり、品質的に一貫メーカーに大きく劣る訳ではなかったものと思われる。 こうしたカラスミシンやOEM生産の伝統がアメリカ市場における大手主要メーカーのブランド戦略を阻害したのではないかと想定できるが、これ等の研究課題は、品質、価格、アフターサービスなどに関する詳細な比較研究を経て明らかになるものと考える。 さらに軽機械振興法の設立経緯についても検討を続ける。同法によって典型的な輸出カルテルが成立することになるが、そもそも何故同法が双眼鏡と家庭用ミシン業界に適用されたのかが問題になる。同法成立をめぐる政治経済史的考察が必要である。
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次年度使用額が生じた理由 |
633円の次年度使用額が発生した理由は、予定していた旅費が執行できず、古書資料購入に切り替えたところ、その入手に手間取り、価格認定に食い違いが生じたためである。 翌年度として請求した助成金と合わせた使用計画であるが、そのほとんどを業界関係資料の収集費用に充当する予定である。
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