研究課題/領域番号 |
19K02041
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研究機関 | 山口大学 |
研究代表者 |
右田 裕規 山口大学, 時間学研究所, 准教授 (60566397)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | ナショナリズム |
研究実績の概要 |
初年度にあたる2019年度においては、20世紀日本社会での天皇実写映画の製作・流通に関連した基礎的な資料群の収集、並びに本研究課題に関連する内外の研究史(映画媒体の技術的特性から生み出される知覚特性に関連した研究群ならびに近代君主制国家での王室実写映画について扱った研究群)についての検討を進めた。資料調査では、とくに、1)20世紀前半の日本社会の都市世界では、どのような仕方で天皇家の実写映画は上映・鑑賞されていたのか、2)同時代の都市住人たちは、一連の実写映画から天皇家に対するどのような心性を喚起されていたのか、3)1950年代から1960年代に濫造された天皇家をモチーフとした劇映画は、どのような巨視的背景のもと、生産主体のどのような思惑のもと製作され、またどのような社会的意義を含んでいたのか、という3点の問いに関連した資料群を中心に国立国会図書館や本務校で収集活動を行なった。1、2の資料調査活動では、近代日本社会での天皇実写映画の上映と鑑賞の様式が、同時代のドイツやイギリスと同様、君主一族が含む民族的な意義を捨象し、他の映画俳優と混淆的・同質的に呈示・感受する傾性を強く帯びていたこと、いいかえると、既存の研究史では多分に看過されてきた映画媒体の技術的・商品的特性に関連する知覚文化史の知見群と照応するような状況が天皇実写映画をめぐって編成されていたことを同時代的資料を通じて把握した。その成果の一部として、被写体固有の文脈性を剥奪する映画媒体での君主制体験の広がりが、君主制ナショナリズム編成にとって反撥的に作用した可能性を呈示した基礎的論考を年度内に発表した。また調査活動3においては、天皇家を「映画俳優」と同質的に把捉する社会的視線の拡がりという1950年代的文脈と、映画俳優が天皇家を演じる映画の濫造が密に結び合っていることを指し示した資料群を多く収集できた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究の目的は、近代日本社会での映画媒体産業の成長と相伴した天皇家の実写ニュース映画の氾濫が、君主をシンボルとしたナショナル・アイデンティティ編成とどのように結び合い、またどのように反発しあっていたのかを、複製技術論の知見群を参照点としつつ検討することにある。2019年度の研究活動では、本研究の参照枠組みとなる複製技術論・映画的知覚論についての研究群を検討し、またその一部を枠組みとした論考を実際に発表することで、この研究系列で蓄積されてきた知見群が、皇室実写映画体験をナショナリズム編成へと直結させる研究史の定型的見方を、とくに観覧主体の体験の位相から批判的に再検討する上で、有効な枠組みになることについての理解を深めることができた。また、資料調査活動においても、皇室実写映画が上映される現場では、研究史のナショナリズム論的解釈を大きく逸脱する上映と観覧の様式が都市空間では一般的に行なわれていたことを裏づける多くの資料を収集できた。たとえば、1日の興行回数を増やすべく皇室のニュースリールを早廻しする慣行が大正・昭和初期の帝都では広く見られたこと(そのため天皇家の成員が高速度でスクリーンを動き回るような「不敬」な映像が上映の現場ではしばしばあらわれていたこと)、他のさまざまな娯楽映画と同一プログラムに組みこまれ上映されていたことで、スクリーン上の皇室の成員を他の映画の被写体と同質的にとらえ拍手喝采するような態度が都市の観衆では一般に見られたこと、企業とタイアップした広告的なニュース映画が流行した昭和初期には、皇族よりも広告主や製品を重要視するような表現様式の皇室映画もあらわれていたこと、等々である。映画的な天皇体験の拡がりが、どう社会的に帰結したかについての包括的見通しを立てるには理論的にも資料的にもまだ不充分ではあるが、以上の点でおおむね研究は順調に進んでいると考える。
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今後の研究の推進方策 |
今後の推進方策としては、次の3点を想定している。第1には、ヨーロッパの君主制国家と映画媒体の結びつきを論じた事例研究についての検討と整理をより広く進めることである。それらの研究群の知見を参照することで、近代日本社会での君主制映画の上映・観覧実態の一般性や特殊性、あるいは君主制ナショナリズムと映画媒体の結びつきについての一般的趨勢についての理解を深め、本研究の理論的枠組みをより精緻化することを目指す。第2に、戦後の皇室実写映画の上映・観覧様式と対照しつつ、20世紀初期の皇室実写映画の上映・観覧様式の特徴を把捉することである。より具体的には、戦後社会で氾濫した天皇家の「人間的」で「平民的」な容貌をモチーフとしたニュース映画群に対する人びとの観覧態度が、原則的には大正・昭和初期の都市住人たちのそれと連続していた可能性を資料調査を通じて検証する。いいかえると(フィルムの表現様式の硬軟ではなく)映画媒体の商品的・技術的特性によって、天皇家を「平民」的つまり脱ナショナルシンボル的に把捉する知覚が観衆の間で一貫して生成されていた可能性について、20世紀前半期総体を対象としたより長期的な視点から検討を行う。第3に、皇室ニュース映画の製作・配給主体の思惑と動向についてである。20世紀初期の日本社会では文部省や国内映画会社、国際的な映画資本など、さまざまな主体が天皇家の映像を商品化し大きな利益をあげていた。とくに注目されるのは、大正初期からつとに天皇家の映像がしばしば国際的な市場を意識しながら国内外の映画資本によって製作され、実際にも欧米各国へと輸出され上映されていたことである。この点についての資料調査を通じて、20世紀初期の天皇映画が、世界商品として取り扱われることで、ネイションを超出する視線もしくは〈日本〉を矮小化する種類の欧米的視線を含みこんでいた可能性について検討する。
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次年度使用額が生じた理由 |
初年度にあたる2019年度の研究活動では、主に基礎的な資料収集と研究史の整理を中心的に行なった。基礎的資料並びに内外の関連研究群については、本務校並びに本務校近隣の図書館が多数の関連文献を所蔵していたことで、それらで多くの部分をカバーすることができた。そのため、当初予定していたよりも、資料調査のための出張の日数が大幅に減り、その分、繰り越し分が旅費ならびに調査旅行時の文献複写費を想定したその他の費目で生じることになった。次年度においては、とくに国立映画アーカイブや国立国会図書館など、外部での図書館を中心に、ニュース映画の閲覧や補完的な資料収集を重点的に行う予定であるため、資料調査のための旅費に重点的な配分を行う。
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