最終年度となる2021年度には、2019年度、2020年度の研究活動で整備・定位した理論的枠組みにしたがいながら、20世紀前半から半ばの日本社会で、映画媒体と天皇制ナショナリズムが、どう結び合い、反発しあってきたかについての補完的な資料収集と、最終的な考察作業を進めた。とりわけ本年度の研究活動の中心にすえたのは、皇室イベントの映像を商品化する映画業界や新聞業界の運動の活発化と相伴して、当のイベントを「生」で体験することへの欲望が、社会的に後退し、むしろ複製を通じた皇室イベント体験を選好する態度が、都市住人を中心に拡がっていった経緯である。より具体的には、1)皇室イベント(即位礼や行幸啓など)の開催地の住人たちの間では、天皇家を直接的に見る稀少な機会を得たにもかかわらず、新聞社や映画会社が公開したニュース映画をつうじて当該のイベントを体験することを志向する態度が広く見られたこと、2)このような地元住人の複製選好に呼応して、天皇実写映画の製作・上映主体もまた、開催地での公開にとくに力を入れていたこと、3)反対に、皇室イベント時に直接天皇を見た若年層の感想文では、オリジナルの天皇を目撃したにもかかわらず、当該の天皇体験を映画的・複製的に表現・知覚する仕方(たとえば「御尊影」「御影」といった語彙を、実見したはずの天皇に対して向ける表現、あるいは映画を見ているような感情になった旨の記述)が広範に見られたこと、4)皇室イベント時のこのような都市住人たちの複製選好的態度とは、1959年4月の成婚パレードを、テレビで体験することを選好した沿道住人たちの歴史的前景として位置づけられること、について着目した上で、一連の事態が、皇室イベント体験の「今・ここ」性の剥落を意味していること、皇室イベントを外在的・他者的に体験する、反-「国民」的契機を含んでいたことについて考察を進めた。
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