長崎はしばしば、広島と比較して、原爆の記憶の保存・継承や反核メッセージの発信にあまり熱心ではないとされ、「祈りに沈潜していた」との宗教的な背景が指摘されることがある。都市政策的な面からは「浦上地区が開発から取り残され、住民は原爆被害に関して沈黙を余儀なくされた」という観点もさらに付け加わる。 これに対して本研究はむしろ、開発の波に浦上が十分取り込まれたがゆえに、原爆被災の記憶は封じ込められることになったと見る。本研究で収集した資料のみでそれを十分に証明することはできていないが、「大規模災害後の被災者たちの沈黙」というテーマ自体は広がりのあるものであり、本研究もその解明の一助になると考える。
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