研究課題/領域番号 |
19K02141
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研究機関 | 立教大学 |
研究代表者 |
井川 充雄 立教大学, 社会学部, 教授 (00283333)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | ラジオ / 植民地 / 台湾 / 玉音放送 |
研究実績の概要 |
2021年度においては、日本の敗戦前後における台湾放送協会の経緯の解明を行った。 1945年8月15日の玉音放送は、外地にも中継された。台湾でも、内地からの入中継によって全島において玉音放送が放送された。国策会社などでは全社員に集合するよう号令がかかり、「詔書奉拝」のあと「戦捷祈念」が実施されることになっていたことから、あくまでも勝利を祈願するためのものと思われていたようである。このように軍隊や役所、会社では、あらかじめ集合させられたという証言が多くある。それに対して、家庭にいた民間人の場合は、玉音放送の存在を知らなかったり、聞いたが内容がわからなかったという回顧もある。 他方、「本島人」のうち台湾の抗日民族運動のリーダーであった林獻堂は、8月15日の日記に「ああ、五〇年来、武力で作られた山と川は武力によって失われたのだ」と感嘆を込めて記している。医師・作家であった呉新榮は、重大放送があることは知っていたが、電気が来ず聞けなかったと日記に記している。 敗戦直後、日本政府は「外地」に居住する日本人をそのまま現地に定着させるという基本方針を決定しており、台湾総督府内でも、中華民国に対して、「在台の内地人を可能な限り台湾に居住せしむる」との方針のもと、新聞中に日本語欄を設けることや、放送においても日本語番組を設けることを要望していた。10月25日に光復式典が行われ、台湾の施政権は中華民国へ引き渡された。新設の台湾広播電台は、台湾放送協会の施設を使って10月25日に放送を開始したが、「日楽」「日語新聞及気象報告」などわずかに日本語の番組があったことがわかった。これは1947年4月頃まで続いたと思われる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
2021年度においても、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、当初予定していた台湾ならびにアメリカにおける資料収集を実施することができなかった。そこで、これまでに収集した資料の分析・考察に注力し、その成果を公刊することができたため。
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今後の研究の推進方策 |
今後は、これまでの成果を踏まえ、さらに台湾放送協会の成り立ちから解散までの過程や、「東亜放送網」の形成とその機能などについての、資料収集ならびに考察を行う。 本研究では、できる限り第一次資料にあたり、実証的に諸問題を解明することを主眼としており、今後は、台湾やアメリカ等における資料収集を再開する。ただ、今後も新型コロナウイルスの感染状況により海外に出張することが困難な場合は、各国の公文書館等でデジタル化され公開されている資料の収集に力を入れ得る。 これによって、ラジオによる文化的統合(同化政策)と新たな音文化の構築の過程を明らかにする。
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次年度使用額が生じた理由 |
アメリカの公文書館、台湾の各図書館・史料館等での資料収集を計画していたが、新型コロナウイルスの感染拡大により、海外渡航できず、旅費を支出しなかった。また、関係者に対するインタビューを計画していたが、実施に至らず、そのための人件費等を支出しなかった。また、研究成果発表のための国内旅費も使用しなかった。これらについては、2022年度において、アメリカおよび台湾における資料収集を実施し、支出する予定である。
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