ホームヘルプや施設介護を通じで行われるケアという行為は、通常「気遣い、気配り」などと訳されることが多いが、そもそもこの行為が「公的問題から、予め排除されやすい」などと、長らく公的に論じられる対象として扱われてこなかった問題が指摘される。さらに、「ケアはつねに権力が絡んでいる」ともされ、非常に政治的な面もあるという。こうした排他性や政治性がこれまでのケアにいったいどのような影響を与えてきたのだろうか。このような問題提起は何を示唆するものなのか。本研究では、この大きな問題を解く前段として、ケアという社会構造的な問題をいったん歴史的に捉え直し、ホームヘルプ事業史という切り口から、竹内吉正、森幹郎という二人の人物の「協働」に焦点化しながらその特質を考察し、その大きな問いを解明する糸口を見出すことを試みた。官民協働や中央と地方との関連を紐解く契機を明らかにした。 その一方、民間の立場から、長野県内のホームヘルプ事業を支えた竹内吉正が70代を迎えた1990年代に、小諸学舎(知的障害者施設)理事長として果たしていた職務や役割について探究し、具体的には、ソーシャルワーカーの資質向上、小諸学舎25周年記念事業、ホームヘルプ事業史の歴史的回顧、講演活動、シンポジウム・ワークショップへの参加、そして「小諸学舎運営指針試案」の作成に貢献していたことを明確にした。 各種の制度・政策の対象から漏洩した人々にも目を向ける必要性があること、共助を基調とした問題解決の検討によって、人々が豊かな社会を構築できること、属性や出自にかかわらず、倫理、人権、尊厳を守ること、施設内では最大公約数的課題への対応を念頭に置き、国際的視点や“民間”ならではの先駆性を生かしつつ、社会という集団のなかにおける個々人の「幸福な人生(福祉)」を指標とする意義などを、竹内が強調していたことが実証的に明らかにされた。
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