これまでの研究成果の整理を行った。特に、児童養護施設に入所する子どもたちの家族に纏わる生のいとなみの困難とは、自己の再定義をめぐる課題があることがわかった。この自己の再定義をめぐる課題とは、その生育史において、3群に整理され、その一つ、自らが血縁ではない家族にもとで養育されたという「異質な自己への戸惑い」であり、二つ目には、ケアしてくれる存在が目の前にいて、本来ケアすべき存在である親はその役割を果たさないという「アンビバレントな不確かさを抱える自己」、そして、三つ目には、暴力を振るわれ、あたりまえの生活を保障されてこなかったことによる「存在する価値のない自己」であった。 この自己の再定義に対するケアもしくは支援としては、「存在レベルの受けとめ」から始まる。日々の施設生活のなかで「大切にされる」という体験を積み重ねるのである。次に「行動レベル」の受けとめである。「存在レベルの受けとめ」が展開されると、彼等のなかにある種の疑問が湧いてくる。そのひとつの疑問が、「なぜ自分は大切にされなかったのか」という疑問である。それを言語化することは難しく、それを行動レベルで受けとめることが必要となる。もうひとつの疑問は、親なのになぜ自分を養育しない、できないのかという「事実レベルの受けとめ」が求められる。事実告知を行うということである。その結果のゆらぎを彼等が自ら受け入れられるよう、時間をかけて伴走する。これが「時間軸レベルの受けとめ」である。こうしたトータルな受けとめを通して、彼等は、「こういう自分、こういう人生でもよいか」という意味で自己を再定義化していくのである。この時に求められる職員の姿勢として、「こうなればこうなる」といった解決モデルではなく、「子どもの最善の利益をどこまでも悩み、検討する」といった逡巡型モデルが必要であることがわかった。
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