研究課題/領域番号 |
19K02194
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研究機関 | 東京都立大学 |
研究代表者 |
竹原 幸太 東京都立大学, 人文科学研究科, 准教授 (30550876)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | 矯正教育研究会 / 批判集会 / 生活綴方 / 鈴木道太 / 谷貞信 |
研究実績の概要 |
本年度は、戦後直後の第一の非行の波から1960年代の第二の非行の波の時期までの矯正教育界の動向を辿りながら、戦前・戦後の矯正教育観の連続・非連続性について検討した。 具体的には、1922年矯正院法下で矯正教育の基礎を築いた太田秀穂(初代多摩少年院長)、小川恂臧(初代浪速少年院長)、谷貞信(多摩少年院医官)らは戦時中も少年の観点に立ち、科学的処遇を求める矯正教育観を保持し、太田と小川と実務を共にし、戦後も引続き少年矯正を担った谷(1949年東京医療少年院長)をはじめ、徳武義(1948年多摩少年院長)、千田光郎(1950年北海少年院長)、池口尚夫(1948年福岡少年院長、翌年浪速少年院長)、松岡眞太郎(1948年宇治少年院長)、左成謙次(1948年東北少年院長)らは、1948年少年院法施行直後に各少年院長に赴任し、太田、小川が築いた矯正教育観を継承したことを確認した。さらに、戦前、生活綴方教師として活躍した鈴木道太が、戦後は児童福祉司として綴方的手法を活用して非行児調査を担いつつ、少年刑務所や女子少年院の綴方指導にも関与して非行原因論を分析したことも確認した。 他方で、非行増加に伴い少年院送致数も激増したため、1950~60年代にかけて、欧米の精神医学・心理学等に基づく科学的処遇法が積極的に紹介され、また戦前の少年院勤務経験を有する職員が退職していく時期とも重なり、徐々に教育の視点が停滞し、集団療法等の治療的視点が強調されていったことを大阪矯正管区『矯正教育』誌、矯正教育研究会『矯正教育研究』誌等を検討して確認した。 以上については、「矯正教育における教育学理論の応用に関する史的検討-1960年代までの議論を中心として」と題して第79回日本教育学会で報告を行い、太田、小川、谷の戦中期の矯正教育観については、日本社会福祉学会『社会福祉学』誌に投稿を行った。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
新型コロナウイルス感染症拡大に伴い、出張調査は実施できなかったものの、研究計画書に示した通り、各少年院の記念誌や『矯正教育』誌等の文献調査から、戦後初期の少年矯正分野の人事異動については辿ることができ、池口尚夫、松岡眞太郎、谷貞信らが、太田秀穂、小川恂臧が築き上げた矯正教育観を継承して、戦後の矯正実務に取り組んでいたことを確認することができた。 また、当初の研究計画を超えて、戦後の児童相談所のモデル地区となった宮城県児童相談所においては、GHQから派遣されたキャロルにより、診断主義的なソーシャルワークの技法が導入されつつも、戦前の北方性教育運動を担った鈴木道太が戦後最初の児童福祉司として勤務していたことから、非行児調査において生活綴方的手法が活用され、鈴木は少年刑務所や女子少年院の綴方指導にもかかわっていたことを確認することができた。これに伴い、戦前・戦後の矯正教育観の連続性に加え、生活綴方教育の矯正教育への応用についても検討することができた。
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今後の研究の推進方策 |
本研究の最終年度となるため、戦前・戦後の矯正教育の連続性・非連続性を整理しつつ、矯正教育の原理を検討する。 第一に、戦前の矯正教育観を継承しつつ、戦前・戦後、一貫して矯正の科学化に貢献した谷貞信は、戦後のGHQ改革下でのケースワーク、グループワーク導入の流行をいかに見ていたのか検討する。 第二に、生活綴方や集団主義教育等の教育学理論を矯正教育にも取り入れ、矯正教育の実践性、教育性を強調して矯正教育研究会を牽引した副島和穂、土持三郎らに対して、GGI(Guided Group Interaction)、PPC(Positive Peer Culture)等の欧米の集団処遇理論を積極的に紹介・導入し、少年相互の集団力動を活用した批判集会を実践した菊池正彦はいかなる矯正教育観を有していたのか、矯正教育関係文献から検討する。 第三に、戦前から連続・継承される矯正教育の原理と照らして、今日の少年司法政策の諸課題を検討する。
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次年度使用額が生じた理由 |
新型コロナウイルス感染症拡大の長期化に伴い、昨年に引続き、予定していた武蔵野学院・図書資料室の調査等が実施できなかったため、コロナウイルスの感染収束状況に応じて、出張調査費として使用予定である。
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